なぜタネを教えてはいけないか
いまさら論ずるのも馬鹿馬鹿しいかもしれないが、私なりに述べてみたい。簡単に言えば、観客がタネを知ってしまえばそのマジックは不思議でもなんでもなくなり、マジックではなくなってしまうからである。当たり前だなあ。先が続かないぞ、どうしよう。タネアカシ賛成論者がいうには、「すぐれた演技はタネを知っていても見ていて面白いものである。だからタネアカシをしてもかまわない」だが、それはマジックが目的とするところの不思議さによる面白さとは違う。わざわざ本来の目的を台無しにするのは馬鹿げたことだ。
賛成論者いわく「旧態依然としたタネを暴露することにより、新しいトリックが創造される」ヴァレンチノ(マスクマジシャン)などの意見である。じゃあその新しいトリックとやらをお前が作ってみろという話である。先人のトリックの多少の改案では問題にならない。それならタネアカシをしないほとんどのマジシャンがみなやっている。トリックを考案する者はタネアカシがされようがされまいが、新しいトリックを考案しようと必死なのである。
「タネアカシはしてもよい。ただしそれは自分が考案したトリックに限られる」という意見もある。直木賞作家の泡坂妻夫氏の意見である。だがこれはそのまま鵜呑みにしてはならないと思う。マジックをやらない方々は驚くかもしれないが、マジックをやる人間のほとんどはオリジナルのマジックを考え付くことができないのである。先人が考え出したトリックの改案なら私も多少は行ってきた。だが、まったくの新しいマジックを考案できるのは本当に限られた人たちのみである。そしてそんな人たちは自分が考えたトリックを少なくともただで世間に大々的に公表することはない。
ではタネアカシをしてよいのはどのようなときか。私の考えでは、情報料を相手が払う場合、相手がすでにそれなりにマジックの習得に時間を費やしており、観客に見せられるレベルに達している芸をいくつか持っている場合(いわゆる「シロウト」でない場合)の二つである。つまり金なり努力なりの対価を払わずに情報を得てはならないということだ。金を払ってタネの秘密を手に入れるものは簡単にその秘密を公にしないであろうと思われるからである。だから情報料はあまり安くてはならない。
そして「シロウト」かどうかの線をどこで引くのかは難しい問題である。人間みな多かれ少なかれうぬぼれているものであり、自分はシロウトでないと思い込んでそれを基準にするからである。でもそれは仕方がない。教えられる側と十分話をして相手がマジックの習得に情熱を傾けているかどうかを判断する必要がある。初めて生でマジックを見た相手に「教えて、一生懸命練習するから」などとせがまれた場合などは間違っても教えてはならない。このような宣誓は必ず裏切られる。「何百回と練習しないと人に見せられるレベルには達しない。ちゃんと練習する?」ときいて「絶対にする」と相手は答えるが、絶対にしない。タネを知る優越感に浸りたいというだけでこのようなうその宣誓を平気でする人間がほとんどである。後になって「教えてくれたあの手品、ダメだよ。難しい。一回練習したけど、相手にばれちゃった」などといわれることもしばしばある。そもそも本気でマジックを習得したいと考える人間なら簡単にタネは教えてもらってよいものではないという認識があり、金を払ってレクチャーを受けたり、文献を調べたりするものである。「教えて」と聞いてくる人間にマジシャンになれる可能性はほとんどない。