ものぐさ雑記 ’07年1月〜
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あけましておめでとうございます。今年もよろしく。

1月30日
ロミオ・ロドリゲスはマジシャン

 「極上の月夜」の話である。この日は「読心術」のエンターテイナー二人が登場した。一人はアメリカ随一のメンタリスト(超能力マジシャン)、マックス・メイビン。この人は超有名マジシャンであり、することはトリックによるものと世間一般に認識されている。そしてもう一人、ロミオ・ロドリゲスという男が登場した。彼はサイキック・ダイバーと自称する。観客の潜在意識に潜り込み、その人の心の中を読み取るというふれこみだ。彼もマックス・メイビン同様、脅威の読心術でスタジオをパニックに陥れる。二人のパフォーマンスはいずれも素晴らしく、本物の超能力に思えた人も居たかもしれない。マジックを超能力のように演出するやり方を批判する人もいるが、私は問題ないと思う。わざわざマジックを観るのは、この世のものとは思えないものを体験し、ありえないことが存在するかのような錯覚を経験したいからである。だが、問題だと思うのは、番組のナレーションでこのように語っていたことだ。
・・・そしてもう一人、あの美輪明宏が「この人は本物よ」と太鼓判を押す謎の男がいた。サイキック・ダイバー、ロミオ・ロドリゲス・・・
 美輪明宏は現在、世間の多くの人が本物の霊能力の持ち主であると考えている人物だ。私には霊能力などかけらもなく、真偽のほどを確認するすべはない。だが、本物の霊能力者が(仮に美輪がそうだとして)「この人は本物よ」と言ったら、多くの人がそれを信じるであろう。テレビ朝日系列で放送している「オーラの泉」の視聴率は大変良いという。美輪は霊が存在し、自分にも見えると主張する人物で、多くの視聴者がそれを信じている。その美輪がロドリゲスのことを「本物」だと認めたというのである。番組冒頭のナレーションで、超能力者の一人としてロドリゲスを認識した人もかなり多かったのではないか。
 だが、マジシャンの一人として断言するが、ロミオ・ロドリゲスの演技はすべてマジックである。使っているトリックもマジシャンからすれば毎度おなじみのものである。演出や客あしらいなどが上手く、工夫を凝らしているので、本当の超能力にも見えるが、まちがいなくトリックのあるマジックだ。それが番組のナレーションにより、あたかも本物の超能力であるかのように錯覚させられてしまう。このことは大変な問題だと思う。放送された内容には美輪がロドリゲスを「本物だ」と発言している部分はない。「神がかり的な人よね」「いや、本当に凄いわ、この人」とは言っている。だがそれはパフォーマーとしての素晴らしさを褒め称えた表現と解釈するのが妥当だろう。美輪の表現を「ロドリゲスが本物の超能力者であるから凄い」と解釈するのは曲解に過ぎる。だが、日本テレビは非常にたくみに美輪の表現を言い換え(本当に言ったかもしれないが、それならちゃんと放送すべき)、このロドリゲスが本物の超能力者であるかのように視聴者に錯覚させたのではないか。しかも、この場合、あくまで美輪の表現を紹介したことになっているから、日本テレビは嘘の情報で視聴者を騙したことにはならないと言い訳ができる。しかも、世界一有名な超能力バスター、ジェームズ・ランディのVTRを途中で流すという芸の細かさ。これで、あくまで中立の立場だと主張できるという寸法である。このいやらしい言い換えはどうしても気になる。そして、マジックの番組全般に言えることだが、あまりブチブチ編集しないで欲しい。視聴者に「どうせ映っていないところで何か秘密の動作をやったのだろう」と思われたら番組の魅力は半減するから。


1月29日
POWER FOR LIVINGのCM

 以前からこれはなんだろうと不思議だった。久保田早紀や、日本ハムのヒルマン監督、m-floのVERVALなどが出演しているCMである。これらの有名人が「POWER FOR LIVING」とかいう本を読んで救われたなどと話している。本のCMらしく、それだけならともかく気味が悪いのは、この書籍が無料であるということだ。ネットで注文すれば、ただで送ってくれるらしい。人間が何かを行うときには必ず目的がある。CM製作にも書籍の作成、配布にも巨額の資金が必要とされる。それなのに無料で送ってくれるということに気味の悪さを感じていた。脳機能学者の苫米地英人博士によると、このCMを作成しているアーサー・S・デモス財団とは喫煙、妊娠中絶、同性愛を禁止する超保守的な福音主義型のキリスト教異端だということだ。つまりはカルトである。とするなら、CMを流してまで無料書籍を配布しようという試みは彼らの布教活動に他ならないということになろう。苫米地博士が言うにはメディアで宗教団体の宣伝をすること自体に問題があるということだ。博士のブログを読む限りでは創価学会については(あそこもあたしかCMを流していたよな、記憶が正しければ)述べられていない。だが私が思うにもっと裏があるのではないか。CMでは申し込みをした人に連絡することはないといっている。だが、本当に信じられるだろうか。この団体への勧誘候補者としてリストに記録されることは十分考えられる。無料書籍の配布は彼らの布教そのものになるだけではなく、申込者の個人情報の入手手段でもあろう。そして勧誘されやすい人々のリストが出来上がる。闇雲に勧誘するより遥かに効率的にできるだろう。これは私の憶測でしかないことを強調しておくが、こういうことも考えられる。ただほど高いものはないのだ。


1月25日
やっぱり終わったな

 「あるあるU」の打ち切りが決定した。前身の「発掘 あるある大辞典」の放送開始から十年近く経っているだろうか、それが終わってしまうのだ。ほんのわずかの視聴率を上げるために。私は「納豆ダイエット」の回の放送を見逃したので、後でホームページをチェックした。「食材X」とは「納豆」のことで、毎日2パック二週間食べ続ければヤセるとのことだったが、ひと目見て「バカバカしい」と感じた。もともと好きな人はそれだけの量の納豆を食べるのは平気だろうが、それほど好きではない人は大変な無理をしなくてはならない。無理は必ず破綻するので、上手くいくわけがない。つまり、もともと好きな人はそのまんま、そうでない人もそのまんま。ホームページを見た限りでは、今回はインパクトが小さかっただろう、と思っていた。ところがさにあらず。日本中のダイエット志願者が納豆を買いあさり、パニックが起こるとは。ヤセるためだけに一日2パック食べようという人の気が知れなかった。
 
「あるある」の呪い
 「あるあるU」の前身の「あるある大辞典」の司会者は堺正章、ヒロミ、フジテレビアナウンサー菊間千乃の三人だった。菊間が「めざましテレビ」のコーナー、「それいけキクマ!」の生放送中にビルから落下した事件を知ったとき、私は愕然とした。ヒロミはかつて打ち上げ花火で空を飛ぶという企画で全身大やけどを負って入院したことがある。そして菊間は落下して大怪我を負い、入院へ。司会者三人のうち、二人が大怪我を負うとは何か恐ろしい因縁があるのでは、などと思った。残りのマチャアキに事故が起こらないようにと心配していた。その後、マチャアキは離婚、ヒロミは仕事が極端に少なくなり、菊間はジャニーズの未成年タレントの飲酒事件(そういえば、仙台の勾当台公園での出来事だった)でテレビから姿を消した。何かの呪いではないかという感じがした。そして今回の打ち切りである。この番組に係わったスタッフにしてもタレントにしても、いいことはひとつもないだろう。普通に視聴率が下がって終わったのなら、この番組とのかかわりは自分のキャリアとして公言できる。だが打ち切りである。政井マヤなど、自分のプロフィールに「あるあるU」と記すのはためらわれるだろう。気の毒にとしか言いようがない。



1月21日
「あるある」は終わってしまうのか

 なんともばかばかしいことをしたものである。「納豆ダイエット」の件である。私自身はほぼ毎回この「あるある」を観ている視聴者の一人である。たまたまこの回の放送は観なかったが、前週の予告のあおり方が普段とは違うといやな予感はしていた。普段ならその食材が何かをあらかじめ予告しておくのだ。今回はそれを伏せておくことでじらして視聴率を稼ごうとしたのだろう。暴走が始まっているという予感がしていた。放送日にそれが「納豆」であることが知らされ、翌日スーパーの棚の納豆が売り切れに。週刊誌等で疑惑が報道され、二十日の謝罪会見と相成った。
 この手の生活情報番組は「やらせ」といってしまえばそのとおりである。被験者を集めて実験を行うが、そのサンプル数があまりにも少なく、プラシーボかどうかを確かめる実験も行われることはほとんどない。番組の主張と合致する実験結果のみが放送されるということがほとんどなのだろう。その番組の主張とはどこかの学者の論文に基づくものなので、視聴者はそこに信頼を置くことができ、番組としては何か事実と違ったことを放送してしまったとしても、ネタ元の論文のせいにできる。それを分かっている人といない人がいると思うが、どちらにせよ、視聴者は夢を見たく、可能性を信じたい。それがこの種の番組の視聴率が取れる主たる理由だろう。
 今回に関しては番組がある一線を越えてしまったということだ。捏造である。DJ OZMAのときも述べたが、メディアの権力を決定付けるのは、流す情報と流さない情報を取捨選択できる権限だ。それゆえ事実のみを報道しても大規模な情報操作ができる。今回は「事実のみ」の報道から逸脱し、「捏造」という領域に踏み込んでしまった。
 本日の「あるある」は放送を休止して、後ろの「スタメン」を拡大放送することになった。だが、来週から「あるある」は続けられるのだろうか。やらせが発覚した番組はたいてい終わるハメになると思うが。私がよく分からないのは、納豆とスポンサーとの関係だ。民法のこの手の番組はスポンサーの利益につながる内容になっていると思うが、納豆が売れることと、「花王」の利益との関係がよく分からない。「濃縮納豆エキス配合サプリ」なんてものが開発されてたりして。いいかげんなことを言っちゃいけないな。


1月6日
 
おくればせながら紅白のDJ OZMAについて

 
正直半分は信じた。
 この話は元旦にすればよかったのだけど、だんだん腹が立ってきてようやく書きたくなったので書く。あの女性の「上半身裸パフォーマンス」を私も見たのだが、正直半信半疑、つまり本当に裸なのだと半分は信じていた。テレビに映った女性の乳房は本物に見えた。まさか本当に裸になるはずはないと思ったのでよく目を凝らしたが、あまりにリアルであったし、首のところにある本物の皮膚との境目もよく見えなかった。だが、本物だとすると、あまりに会場の反応が落ち着いている。本物だとすると、そんなパフォーマンスをNHKが許すはずもない。OZMAがNHKに知らせずに行ったとするなら、スタッフたちはビックリしてカメラの位置を引かせるはずだ。だが、それは寄りすぎている。もしボディースーツなら、そうだと分かるように逆にもっと近づいて映すはずではないか。カメラは女性たちが裸だとしか思えない距離で女性たちを映しつづけた。流れるようなカメラワークで放送するスタッフたちの戸惑いなどは微塵も感じられなかった。頭が混乱しているところに奈落の下から北島三郎先生の登場。いったい何なのだろうと思っているところ、説明もなく、次のパフォーマンスへと進んでいった。しばらくたってから司会のアナウンサーがDJ OZMAのパフォーマンスに抗議の電話がかかってきたこと、女性の裸は本物ではなく、ボディースーツに絵を描いただけのものであると説明した。 翌日、メディアはこの「裸パフォーマンス」にたいしてNHKに抗議の電話が殺到したことを告げた。そしてNHKはDJ OZMAがこのようなパフォーマンスをすることをあらかじめ知らされていなかったと発表していることも告げられた。
 おそらく知らなかったはずはないだろう。NHKはどんな番組でも念入りにリハーサルを繰り返して番組を作ることは有名である。ましてや紅白は看板番組なのだから、衣装や道具類などのチェックもしっかり行っていたはずだ。仮に知らなかったとする。それならば当然見られるべき反応が見られない。女性が服を脱いだときにまずはディレクターか誰かがカメラのスイッチを指示するはずである。例えばOZMAの顔をアップにする、観客や審査員を映すなどして女性ダンサーの姿が映らないようにするはずである。もしくは極端にカメラの位置を退かせるなどするはずだ。それがないということは知っていたとしか考えられない。NHKは何から何まで知っていたうえで、視聴者を錯覚させる行為に及んだのである。会場の観客にはボディースーツであることは一目瞭然だったから、当然スタッフたちもそれは分かっていた。そして視聴者には本物の裸のように錯覚させるためにあえてボディースーツをアップで映すことはしなかったのである。
 視聴者に本物の裸に見えたら裸を映したのと同じ。
 テレビ局は一大権力なのである。その気になれば巨大な情報操作ができるほどのものなのだ。何を流して何を流さないかが決められることがその権力の大きさを決定付けている。どんな大物タレントもその権力に比べたら、非常に小さな存在にすぎない。今回は一瞬映ってしまったという事故ではなく、意図的にNHKが流し続けたものであり、なおかつその責任をDJ OZMAにすべてかぶせようとしている。巨大な権力をもちながらやっていることがみみっちいのだ。ニセモノだからいいじゃないかというかもしれないが、視聴者に本物にしか見えなければ、視聴者にとっては本物を見せられたのと同じことだ。



 
1月1日
 
ブルーハーツの「リンダリンダ」

 私は実はここ何ヶ月かスペイン語の勉強をしている。NHKテレビの「スペイン語会話」も必ず録画してみている。例文にQue linda!というのが出てきた。これは「なんて美しいのでしょう!」という意味だ。「リンダ」って美しいという意味だったのか。そこであの名曲が頭に浮かんだ。ブルーハーツの「リンダリンダ」である。これはおそらく多くの人が「リンダ」という名の女性のことを言っているのだと思っているだろう。実は私もそうだった。そして「リンダリンダ」の歌詞を思い浮かべると、なぜ女性の名前が出てくるのかまったく分からなかった。みんなそうだったろう。この「リンダ」がスペイン語の「美しい」だとすると意味がすっきりと分かる。「ドブネズミみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから。リンダリンダ・・・」まったく明瞭だ。ブルーハーツの曲にはほとんど外国語が出てこない。「トレイン」だとか「ノー」とか「ミサイル」くらいのものだと思っていたので、まさかスペイン語で「リンダ」が出てくるとは思いもしないではないか。多くの日本のロックバンドは外国に対する劣等コンプレックスを持っており、それが英語のタイトルや英語の歌詞の多様に現れている。ところが、ブルーハーツはそうではない。あくまで彼らが社会に適応できない(できなかった)劣等コンプレックスを原動力として作品を作っていたからだろう、英語があまり出てこない。だからまさかスペイン語が出てくるなどとは夢にも思わなかった。ブルーハーツは凄いバンドだとは昔から思ってはいたけどまだまだ良く理解していなかった。