| ものぐさ雑記 ’07年1月〜 |
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あけましておめでとうございます。今年もよろしく。
1月21日 「あるある」は終わってしまうのか なんともばかばかしいことをしたものである。「納豆ダイエット」の件である。私自身はほぼ毎回この「あるある」を観ている視聴者の一人である。たまたまこの回の放送は観なかったが、前週の予告のあおり方が普段とは違うといやな予感はしていた。普段ならその食材が何かをあらかじめ予告しておくのだ。今回はそれを伏せておくことでじらして視聴率を稼ごうとしたのだろう。暴走が始まっているという予感がしていた。放送日にそれが「納豆」であることが知らされ、翌日スーパーの棚の納豆が売り切れに。週刊誌等で疑惑が報道され、二十日の謝罪会見と相成った。 この手の生活情報番組は「やらせ」といってしまえばそのとおりである。被験者を集めて実験を行うが、そのサンプル数があまりにも少なく、プラシーボかどうかを確かめる実験も行われることはほとんどない。番組の主張と合致する実験結果のみが放送されるということがほとんどなのだろう。その番組の主張とはどこかの学者の論文に基づくものなので、視聴者はそこに信頼を置くことができ、番組としては何か事実と違ったことを放送してしまったとしても、ネタ元の論文のせいにできる。それを分かっている人といない人がいると思うが、どちらにせよ、視聴者は夢を見たく、可能性を信じたい。それがこの種の番組の視聴率が取れる主たる理由だろう。 今回に関しては番組がある一線を越えてしまったということだ。捏造である。DJ OZMAのときも述べたが、メディアの権力を決定付けるのは、流す情報と流さない情報を取捨選択できる権限だ。それゆえ事実のみを報道しても大規模な情報操作ができる。今回は「事実のみ」の報道から逸脱し、「捏造」という領域に踏み込んでしまった。 本日の「あるある」は放送を休止して、後ろの「スタメン」を拡大放送することになった。だが、来週から「あるある」は続けられるのだろうか。やらせが発覚した番組はたいてい終わるハメになると思うが。私がよく分からないのは、納豆とスポンサーとの関係だ。民法のこの手の番組はスポンサーの利益につながる内容になっていると思うが、納豆が売れることと、「花王」の利益との関係がよく分からない。「濃縮納豆エキス配合サプリ」なんてものが開発されてたりして。いいかげんなことを言っちゃいけないな。 1月6日 おくればせながら紅白のDJ OZMAについて 正直半分は信じた。 この話は元旦にすればよかったのだけど、だんだん腹が立ってきてようやく書きたくなったので書く。あの女性の「上半身裸パフォーマンス」を私も見たのだが、正直半信半疑、つまり本当に裸なのだと半分は信じていた。テレビに映った女性の乳房は本物に見えた。まさか本当に裸になるはずはないと思ったのでよく目を凝らしたが、あまりにリアルであったし、首のところにある本物の皮膚との境目もよく見えなかった。だが、本物だとすると、あまりに会場の反応が落ち着いている。本物だとすると、そんなパフォーマンスをNHKが許すはずもない。OZMAがNHKに知らせずに行ったとするなら、スタッフたちはビックリしてカメラの位置を引かせるはずだ。だが、それは寄りすぎている。もしボディースーツなら、そうだと分かるように逆にもっと近づいて映すはずではないか。カメラは女性たちが裸だとしか思えない距離で女性たちを映しつづけた。流れるようなカメラワークで放送するスタッフたちの戸惑いなどは微塵も感じられなかった。頭が混乱しているところに奈落の下から北島三郎先生の登場。いったい何なのだろうと思っているところ、説明もなく、次のパフォーマンスへと進んでいった。しばらくたってから司会のアナウンサーがDJ OZMAのパフォーマンスに抗議の電話がかかってきたこと、女性の裸は本物ではなく、ボディースーツに絵を描いただけのものであると説明した。 翌日、メディアはこの「裸パフォーマンス」にたいしてNHKに抗議の電話が殺到したことを告げた。そしてNHKはDJ OZMAがこのようなパフォーマンスをすることをあらかじめ知らされていなかったと発表していることも告げられた。 おそらく知らなかったはずはないだろう。NHKはどんな番組でも念入りにリハーサルを繰り返して番組を作ることは有名である。ましてや紅白は看板番組なのだから、衣装や道具類などのチェックもしっかり行っていたはずだ。仮に知らなかったとする。それならば当然見られるべき反応が見られない。女性が服を脱いだときにまずはディレクターか誰かがカメラのスイッチを指示するはずである。例えばOZMAの顔をアップにする、観客や審査員を映すなどして女性ダンサーの姿が映らないようにするはずである。もしくは極端にカメラの位置を退かせるなどするはずだ。それがないということは知っていたとしか考えられない。NHKは何から何まで知っていたうえで、視聴者を錯覚させる行為に及んだのである。会場の観客にはボディースーツであることは一目瞭然だったから、当然スタッフたちもそれは分かっていた。そして視聴者には本物の裸のように錯覚させるためにあえてボディースーツをアップで映すことはしなかったのである。 視聴者に本物の裸に見えたら裸を映したのと同じ。 テレビ局は一大権力なのである。その気になれば巨大な情報操作ができるほどのものなのだ。何を流して何を流さないかが決められることがその権力の大きさを決定付けている。どんな大物タレントもその権力に比べたら、非常に小さな存在にすぎない。今回は一瞬映ってしまったという事故ではなく、意図的にNHKが流し続けたものであり、なおかつその責任をDJ OZMAにすべてかぶせようとしている。巨大な権力をもちながらやっていることがみみっちいのだ。ニセモノだからいいじゃないかというかもしれないが、視聴者に本物にしか見えなければ、視聴者にとっては本物を見せられたのと同じことだ。 1月1日 ブルーハーツの「リンダリンダ」 私は実はここ何ヶ月かスペイン語の勉強をしている。NHKテレビの「スペイン語会話」も必ず録画してみている。例文にQue linda!というのが出てきた。これは「なんて美しいのでしょう!」という意味だ。「リンダ」って美しいという意味だったのか。そこであの名曲が頭に浮かんだ。ブルーハーツの「リンダリンダ」である。これはおそらく多くの人が「リンダ」という名の女性のことを言っているのだと思っているだろう。実は私もそうだった。そして「リンダリンダ」の歌詞を思い浮かべると、なぜ女性の名前が出てくるのかまったく分からなかった。みんなそうだったろう。この「リンダ」がスペイン語の「美しい」だとすると意味がすっきりと分かる。「ドブネズミみたいに美しくなりたい。写真には写らない美しさがあるから。リンダリンダ・・・」まったく明瞭だ。ブルーハーツの曲にはほとんど外国語が出てこない。「トレイン」だとか「ノー」とか「ミサイル」くらいのものだと思っていたので、まさかスペイン語で「リンダ」が出てくるとは思いもしないではないか。多くの日本のロックバンドは外国に対する劣等コンプレックスを持っており、それが英語のタイトルや英語の歌詞の多様に現れている。ところが、ブルーハーツはそうではない。あくまで彼らが社会に適応できない(できなかった)劣等コンプレックスを原動力として作品を作っていたからだろう、英語があまり出てこない。だからまさかスペイン語が出てくるなどとは夢にも思わなかった。ブルーハーツは凄いバンドだとは昔から思ってはいたけどまだまだ良く理解していなかった。 |
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