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3月23日
国民が税金の使い道を決めてしまおう
道路特定財源問題やら、自衛隊の不祥事により国民の税金の使い道に対する怒りは日々増している。そんなに腹が立つのなら、いっそのこと国民が税金を納める際に使い道を勝手に決めさせて良いシステムを作ったらどうかなどという乱暴な考えが頭をよぎった。例えば話を解りやすくするために、税金を一人月一万円納めるとする。そのうち、防衛費は五百円くらいでいいだろう、教育には千円も使おうか、道路は五円くらいでいいかな、警察は三百円くらい、国債の返済にはこのくらい、農業にはこのくらい・・・といったぐあいに一人ひとりの国民が自分でその割合を勝手に決めてよいことにする。そうなれば理論上は国民が税金の使い道に腹を立てることはありえなくなる。だって自分たちで使い道を決めてよいのだから。もちろんどの省庁にどのくらい税金が集まったか、実際にどのような使い方をしたかは透明化する。
このようにすれば、国民の税金の使われ方に対する意識も高まるだろう。マスメディアに採り上げられる部分に対してのみ、ムード的に怒ったりしていると問題の本質がわかりづらくなるのではないか。
無論乱暴な考えであることは十分に承知している。もしこれを実行するとなると、国家権力の中枢であるところの財務省主計局のレーゾンデートルは吹き飛んでしまう。だから絶対にそのようなことが起こらないようにしてくるのは間違いない。基本的に官僚の皆さんには国民はバカであるという意識があるようなので、自分たちが税金を取り立ててベストな使い方をする義務があると考えている。だがその官僚の税金の使い方に国民は腹を立てており、問題があると考えている。
われわれにできることはまずは意識改革だろう。一人ひとりの国民がレベルアップしなければ、政治も行政もレベルアップすることはないだろう。
3月15日
メールの送信がなぜできない!
何でか知らんが私のパソコンのoutlookからメールが送信できない。受信はできるのだが。電話を使えばそれほど困らないが、メールアドレスしか知らない人も中にはいる。
最近メールをくれたYさん。お店を出されるそうでおめでとうございます。メール送信ができないので、ここに書かせてもらいます。開店の日にちが決まったら、連絡下さい。
3月15日
歩いていけるスーパーは贅沢か
近所のスーパーマーケットが倒産した。このスーパーは支店を増やしすぎ、総菜屋だとか回転寿司などの経営にも手を染め、資金繰りができなくなったとのことだ。これで私の家から歩いて買い物にいけるスーパーマーケットはなくなってしまった。私にはクルマがあるし、この店がなくなったからといって生きていけなくなるわけではない。しかし、スーパーで売っているものとは日常で使うもの。あの野菜がほしい、この肉を使った料理が食べたくなった、豆腐が一丁必要だな、などというこまごまとした買い物をさせてくれるのが近所のスーパーの利点であり、それがなくなってしまうのは不便なことだ。
今度泉区の大沢にイオンのショッピングセンターが新しくできた。これは立地や規模からいって徒歩の買い物客を対象にしたものではない。いわゆる郊外の大規模店舗だ。すぐ近くにおなじくイオンの富谷のモールがあるので、なぜあんなところに出店したのかよく理解できないのだが。これはこれで否定するつもりはないが、近所のスーパーがなくなるのは困ったことだ。クルマのない人だっているだろう。大規模店のバスでの送迎サービスもあるにせよ、気楽な感じはしない。日常品を買うのになぜ一トンもある鉄の塊を走らせ、ガソリンを消費しなければならないのか。
日々生きていく上で必要な食材を買うのにクルマが必要になるとは、果たして良い世の中といえるのだろうか。歩いていける近所の店があるというのがいまや贅沢なことになりつつあるようだ。
3月8日
イッセー尾形の公演を観てきた
場所は広瀬文化センター。仙台市民でもどこにあるのか知る人は多くないだろう。愛子駅の近くにある施設だ。会場はいつもどおり満席。
最初のネタは空港のレストランでカツカレーをたらいまわしにされる男の話。かかってきた電話に出るために席を外して店の隅に移動している間に、後から来た客に席を占領され、カツカレーが他のテーブルに移動されてしまう。これが何度も続き、会場は笑いの渦に巻き込まれる。
次はやる気のない喫茶店のバイトのおばあちゃん。客に冷蔵庫の中にゆで卵があると教えられる。妙なプライドがあって、本当にゆで卵かどうかわからないと主張し、テーブルの上で卵を回転させる。ここで客が笑い出す。卵を回転させてから止めてすぐに手を離して回転を続けないのがゆで卵だという豆知識がある人にならわかるギャグだ。
僻地にあるホテルに移動させられた若いホテルマン、町内会の旅行で中尊寺への坂を上りきらないうちに帰る時間になってしまうおじいさん、などの粒ぞろいのネタが続く。
圧巻だったのは終盤のお得意さんの家に招待された職人の家族の話。職人はたくさんの子供たちを連れている。もちろんイッセー尾形自身が演じるのはたった一人の人物だが、その周りにいる人間たちの姿を客に想像させなければならない。人数が多くなればそれだけの力量が必要になろう。子供たちに行儀を教えるのだが、自分自身がそれに反したとんちんかんな振る舞いをしてしまう。職人は家の婦人にカルピスを振舞われるのだが、味が薄いといって瓶入りの原液を勝手に継ぎ足してしまう。カルピスにブランデーを混ぜて、酔っ払っていく姿は圧巻だった。客はイッセーの台詞のほうに気をとられているうちに、イッセーの体勢は次第にだらしなくなっていく。そのさまは末梢神経を引きつらせるような笑いを誘った。
最後は一人部屋の中で琵琶を弾きながら周囲への不満をぶちまけるお局OL。一曲弾き終えるたびに「風呂に入ろう」とつぶやくが、嫌な記憶が甦り、それをなんとも珍妙な歌にして表現する。これが続くので客は大笑い。
公演が終わった後はサイン会。グッズを買った人はサインをしてもらえる。私も手ぬぐいを買って、それにサインしてもらった。カメラを持っている人はイッセー氏と一緒に写真を撮ってもらえ、握手もしてくれる。これだけサービス精神旺盛な人も珍しいだろう。
3月2日
愛国者は脱税する
あなたに娘がいたとする。300万円の借金を抱えている。悪い男とつきあっていて、その男は娘が借金を抱えているのを知りながら、金をせびってくる。年に30万から40万くらいだが、娘にとっては大変苦しい。娘があなたに金を無心してきた。あなたは娘に金を払うだろうか。払った分だけその男に貢がれるだけだ。だからあなたは必ずこう言うはずだ。「そんな男とは別れてしまいなさい」と。
お金との付き合い方が書かれている本にはだいたい書かれていることだが、「稼ぐ以上に使ったら絶対にお金は貯まらない。収入の範囲内で生活しなさい」当たり前の話だ。稼ぐ以上に使う人間はいくら稼ごうとお金は貯まらず、逆に借金が増えるだけ。そのような人間が大金を持ってしまうと、逆に借金が増えてしまう。だから借金を抱えている人間がまずしなければならないのは借金体質を変えることだ。稼ぐ金額が増えたとしても何の解決にもならない。
お気づきだろうが、この話の金額の単位を「万」から「兆」に変えると日本とアメリカとの関係に変わる。だが個人の話なら簡単に理解できるのに、国家と国家の話になると、とたんにみんな思考停止してしまう。自分より偉い官僚や政治家の皆さんがそれなりにちゃんとやっているはずだからいちおうベストな方法で臨んでくれているのだろうから傍観しているほかはないとなんとなく思っている。その一方でそんなはずはないことに十分気づいている。訳の分からない箱物施設に大金を投じては作り、二束三文で売り飛ばす。なんてニュースは散々聞かされている。日本からODAを受けている中国が日本にもする余裕がない有人ロケットの打ち上げに成功。ミサイルを作って日本に照準を合わせているらしい。そして最大の問題は米国債の購入だ。400兆円近くの米国債を買っているらしいが、それを売ってしまえば日本の借金などチャラだ。
国を愛しているなら、その借金体質を変えさせるのが本当だろう。金を与え続けることではない。ならば真の愛国者は犯罪をしてでも脱税するだろう。いちおうこのサイトでは犯罪を助長させるつもりはないので、節税に励みましょうと呼びかけておく。
2月22日
石破防衛相が辞めてもしかたない
イージス艦と漁船の衝突事故の件で福島瑞穂が石破大臣は辞めるべきだと発言していた。もちろん石破大臣が辞めたところで何の問題解決にもならない。トラックの運転が小型乗用車にくらべて横暴になるのと同じように、おそらくイージス艦の操縦も横暴になりがちなのだろう。官僚の体質として、国益より省益を優先させる傾向がある。その延長線上には自分の部や課の利益優先を求める構造がある。身内に甘く、外部には厳しいのだが、その自覚が希薄なため、エゴを撒き散らしながら、国民に役立っているつもりで害をなすことがしばしばある。そして反省をしないため同じことを繰り返す。
今回の事故も毎度おなじみの構造的問題が見える。防衛省幹部が「緑色の灯火が見えたか赤色の灯火が見えたかを言うのは勘弁してほしい」などと唖然とさせる発言をしていたのもこの官僚の構造問題だ。高知県で起こったバスと白バイの衝突事故でも多数の目撃者が白バイに原因があると証言しているにも関わらず、同僚の警官の証言が採用され、バスの運転手に実刑判決が出された。
今回の事故も石破大臣の指導力うんぬんの問題ではなく、連綿と続いてきた官僚の構造的問題なので、石破大臣が辞めたところで何の意味もない。福島瑞穂の質の悪いパフォーマンスは社民党の支持をなくすだけだと思うのだが。
2月9日
フェロモン・ホメオスタシス説
先日、友人たちとの会話の中で香水の話が出た。その中にいた女性が言うにはもてる男性は香水をつける際には自分が好きな香りのものを選ばないという。女性が好む香りの香水をつけたほうが好まれるのだそうだ。言われてみれば当たり前だが、これを実行している男性はほとんどいないそうだ。自分の好きな香り、男性の場合はマリン系のものをつける男が多いそうだ。もっとも香水をつける男性そのものが多数派ではないが。
以前玉村豊夫のエッセイで読んだことがあるが、フランス人はデートの前にできるだけ風呂に入らないようにするという。自分の匂いを身体に溜め込んでおくという。そしていざデートの際にはその自分の匂いを引き立たせる香りの香水を選んでつけるのだという。彼らにとって、自分の体臭とはフェロモンにほかならない。その考え方が日本人には考えられないものだ。フランス人はトイレに入った際、手を洗わない人が約半分いるという統計がある。公衆トイレの中には手を洗わないと鍵がかかって中から出られないようになっている仕組みのものもあるとテレビで紹介されているのを見たことがある。彼らにとって体臭は決して忌み嫌うべきものではないとされているのだ。
日本の場合はどうか。普通なら異性と過ごす際には自分の体が綺麗かどうかが気になる。できるだけ「無臭」を目指すのがわれわれの文化だろう。これはおそらく神道の考え方に大きな影響を受けている。生きていく上で、または死において生じるさまざまな「穢れ」を「禊いで」「清める」ことを良しとするのが日本人の性質といえよう。日本には抗菌グッズがあふれていて、清潔であることが好まれるのは宗教的な原因がある。
フェロモンとはどうやって出来るのかは謎のようだ。一般的にはフェロモンは魅力を現す単なるメタファーとして用いられていることが多い。私的に最近結論がでたので与太話と思ってもらってかまわないが聞いて欲しい。ホメオスタシスという言葉がある。恒常性維持機能と訳されるが、これは生体がより長く生きながらえるために、環境とフィードバックして安定的な状態を保とうとする働きのことだ。暑ければ汗をかき、寒ければ震えるというような。そして人間の場合、現実ばかりでなく、仮想現実にたいしてもフィードバックを起こす。映画を観て感動して涙を流すこともある。キリスト教徒が張り付けにされたキリストのように手のひらに痣ができる聖痕現象も、キリスト教徒がキリストの痛みを分かち合いたいと切に願ったがためにおこるフィードバック現象だ。心と身体はつながっているので、心で本当に信じたことは身体にも影響する。ありふれた表現をすれば「病は気から」となる。フェロモンもこれでできるのではないか。
人間からは体臭がでる。それをフェロモンだと信じることができれば、ホメオスタシスのフィードバックにより、フェロモンに変わってしまう。自分の体が臭いと思えば臭くなる。フェロモンになるか、悪臭になるかはその人の心のあり方しだいではないか。フェロモンが出るか出ないかはその人の先天的な体質によるものと皆なんとなく考えているのではないだろうか。見目麗しい人からは自然に出てくるというイメージが多くの人にあるだろう。おそらく、外見ではなく、心の中にある圧倒的な自信がホメオスタシス・フィードバック効果によりフェロモンを生み出すのだろうというのが私の考えだ。だからあなたもフェロモンを出したかったら「自分の体からは素晴らしいフェロモンが出ている」と確信しつつ、一週間風呂に入るのを控えなさい。そうすれば嫌と言うほど異性にもてる・・・かもしれない。風呂好きの私は実行する気はないが。
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