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10月28日
比較ゾンビ論
11月3日より映画「バイオハザード3」が上映されるが、それに先立ってテレビでシリーズ第一作が放映される。以前から日本と外国のゾンビについて考えていたことがあるので、書いてみよう。
そもそもゾンビとは西インド諸島に起源を持つブードゥー教のヘビ神が語源だ。そこから転じて死人に入り生命を与える超自然力、それにより操られる死体を表すようになった。
映画でゾンビを題材にしたものにはジョージ・A・ロメロ監督による「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」「ゾンビ」などの作品や、そのパロディーともいえる「バタリアン」などがある。いずれも墓の中から死体が甦って人間を襲うというものである。だが最近は呪術により死体が甦るという設定のものは少なくなり、バイオハザードなどの化学実験や、ウイルス感染などにより生きている人間がゾンビ化するというものが多くなった。
そもそも死体が生き返るためには、土葬でなければならない。火葬にしまえば死体はなくなり、骨だけになってしまうのでゾンビとして甦ることは不可能だ。西インド諸島でも土葬だし、キリスト教の国々も基本的には土葬なので、死体が甦るという形のゾンビ文化がある。
だが、日本の場合は火葬なので、死体が甦ることはありえない。だから生者が何かによってゾンビ化するという設定になる。おそらくそのアイデアを最初に考え出したのはSF作家、平井和正ではないだろうか。1969年に連載が始まった「デス・ハンター」というマンガの原作者が平井和正だ。この作品では謎の生命体の憑依により、人間がゾンビ化する。後に「死霊狩り」という小説に形を変えることとなる。ゲームの「バイオハザード」シリーズの作者も日本人だろうから、同じ発想でゾンビを描いたのだろう。平井和正の作品を読んでいたことは十分に考えられる。
死体のゾンビ化から生者のゾンビ化へと変化の流れを作ったのは、火葬の日本でゾンビを描くために想像力を絞った平井和正の功績が大きいのだろうと思う。
10月27日
「創聖のアクエリオン」のコピーはやめてほしい
パチンコの新機種らしいのだが、女性の声の「あなたと合体したい」というコピーがテレビなどで連呼されている。この「合体」というのはロボット同士の合体を意味しているようだが、性的な意味を含ませていることは疑いようがない。サブリミナル的な使い方だが、露骨なのでなんとも表現としては下品だ。これを毎日毎日聞かされるほうとしてはたまらない。もし抗議したとしても「ロボットの合体のことで、いやらしい意味に捉えるほうがいやらしい」と反論されるのだろう。最近はパチンコ店で大画面の映像を使って宣伝をすることが多いが、その前を車で通るたびにあのコピーを見せられる。できるだけ目をそらすよう心がけているが、何でこんな気を使わなければならないのか。個人的には早くあの機種がなくなることを願うばかりだ。
10月23日
美恵子さんの不倫など少しも衝撃ではない
花田勝氏と離婚した美恵子さんが実は3年前に不倫していたと報道され騒ぎになっているが、これは何も騒ぎ立てるような話ではない。不倫を勧めているわけではないので誤解しないで欲しい。報道によれば美恵子さんと勝氏は5年前に別居を始めたという。美恵子さんの不倫は三年前だからその後になる。法律上、別居を始めた時点で結婚生活は破綻したとみなされるので、その後に配偶者以外の人間と関係を持とうが、それは結婚生活を破綻させる行為ではないとみなされる。だから別居後の不倫が離婚の慰謝料の額に影響を与えることはない。法律的にも倫理的にも何ら問題はない。
ただあの青木とかいう俳優はどうなんだろう。このタイミングで不倫を認めるとはやっぱり売名行為でしかない。芸能界では「付き合うなら大物」と言われているらしい。自分より有名な芸能人と交際し、それをマスコミに暴露すればいい宣伝になるということだ。何度かこのような行為は見ているが、それをして生き残っている芸能人を私は一人も知らない。かつての宮沢りえは母親の戦略で有名人と交際してそれを宣伝にしていたが、彼女が現在地位を築いているのは女優として目覚しい成長を遂げたからだ。芸の裏づけのない芸能人など消えてなくなるのが当たり前だ。個人的に青木とかいう男はいなくなって欲しいし、実際いなくなるだろう。
10月15日
医療従事者でなくとも「シッコ」を観よう
先日、マイケル・ムーア監督の最新作、「シッコ」を観てきた。国民皆保険制度のないアメリカと諸外国を比較したドキュメンタリーで間違いなくムーア監督の最高傑作といえるだろう。アメリカでは民間の保険会社が医師に給料を支払って管理するシステムとなっている。もちろん保険に入っていなければ医療費が保険から支払われず、アメリカ人の6人に1人が治療を受けられず死んでゆく。だが、この映画で描かれているのは保険に入っている人たち。保険加入者でも保険会社は何かと理由をつけて保険金の支払いを拒否し、保険加入者ですら治療を受けられず死んでゆく現実。指を2本切断された大工。健康保険を持っていない彼に医師は「薬指なら1万2千ドル。中指は6万ドル。どちらにしますか?」大工は薬指を選んだ。病気にかかり破産する夫婦。病院のたらいまわし。支払い能力のない女性が路上に捨てられる。医師がガンだというのに、「そんな若さでありえない」と決め付ける保険会社。治療を拒否した医師にボーナスを与える制度・・・。これが本当に世界一の超大国アメリカの現実なのか。実に情けない気分になる。
国民皆保険のある諸外国が対比して描かれる。イギリス、フランス、カナダ、キューバでは医療費はタダ。イギリスの病院にある会計所は患者からお金を取るところではなく、患者の交通費を払い戻すところだという。フランスでは数ヶ月の病気休暇を取ることができ、それも有給休暇だそうだ。患者の衣服の洗濯までしてくれるそうだ。キューバには1ブロックごとに病院と薬局があり、必ず緊急医療が受けられる仕組みになっている。まるで天国と地獄だ。
9・11の救助活動で肺などの病気にかかった消防士たち。彼らのような英雄が満足な医療を受けることができない。ムーアは彼らを連れてキューバのグァンタナモ米海軍基地へ乗り込む。そこの医療施設は世界最高で、収監されているアルカイダのメンバーは最高の医療を受けている。「アルカイダ以上の治療をしてくれなくていい。彼らと同等でいいから治療をしてくれ。この消防士たちはアメリカの英雄なんだ」だが、門前払いをくらう。仕方なく敵国キューバの病院を訪ねると医師たちは無料で治療を施してくれるという。感激して涙を流す消防士たち。なんとキューバではアメリカで1万4千円ちかくする薬が10円もしない値段で売られている。
現在のアメリカの医療システムを擁護する権力者たちは、「国民皆保険が行われれば、医師たちの間の競争がなくなり、医療の低下を招く。医師たちの収入も減る。患者たちも選択肢を失う。そしてそれは国を社会主義化へと推し進める悪である」と言う。だが、国民皆保険が取り入れられている国の医師たちは皆経済的に豊かで満足しており、何より医療を拒否するなど考えられないと口をそろえる。興味深かったのは確か政治家、トニー・ベンだったと思うが「選択肢があるというのは数ある医療の中から好きなものを選べるということ。アメリカ人は医療を受けることすらできない人がほとんどだ」と言っていたこと。
パンフレットにデーブ・スペクターの意見が載っていた。
「ムーアの映画はマユツバで観るもの。アメリカの医療、製薬は世界最高だが、そのことが語られていない。世界中のお金持ちはアメリカで手術を受けたがる」
確かにアメリカの医療は世界最高だというのは常識。お金持ちのみが受けられる最高の医療があり、他の国の医師たちはそこから学ぶことが大きいに違いない。だがそれは金持ちにより多く金が集まるシステムだからこそできること。言い換えればアメリカ国民の大いなる犠牲により成り立っているもの。それを黙認してそのおこぼれに預かることは許されるのか、考えるときだろう。
国が国民の医療の面倒をみることは、社会主義につながるというが、それでは他の行政サービスはどうなんだとムーアは指摘する。なるほどそのとおり。国家というシステムそのものが多かれ少なかれ社会主義的なものではないか。国民から税金を取り、資源の再分配を行い、行政サービスを行う。その程度によりケインズ主義と呼ばれたり、社会主義と呼ばれたり、共産主義と呼ばれたりする。行政サービスがまったくいらないというならそれは無政府主義と言うことになろう。国民の健康に対して責任を持つのは国家の重要なレーゾンデートルの一つに違いない。
この作品は医療従事者のみならず、すべての人間が観るべきだ。医者の世話に絶対ならないと断言できる人はいないのだから。それだけではなく、もう少し視点をあげて考えてみよう。国家がすべきことと民間がすべきことはどのようにあるべきかという問題が見えてくるだろう。医療だけの話ではない。
日本の医療の自己負担費用は、昔は一割だったと思うが、二割になり、今は三割。どんどんアメリカ化の道をたどっているようだ。
10月11日
レイプ事件でもダブル・ジョパディーは成立するか
02年に富山県で起きた強姦・強姦未遂事件で氷見市のタクシー運転手がその犯人として二年間投獄された。その運転手が先日会見を開いた。事件現場の足跡が被告のものとは違うことは最初から明らかで、被告は事件のあった時刻には自宅から電話をしていたアリバイがあった。これは完全なでっちあげだ。
1999年のアメリカ映画に「ダブル・ジョパディー」という作品がある。ある主婦が夫殺しの罪で有罪となり、六年間投獄される。だが、主婦は夫を殺しておらず、夫は実は生きていた。同じ罪で人を二度有罪にしてはならないという合衆国憲法の規定、「ダブル・ジョパディー」。これにより、彼女は夫を殺した罪ですでに服役をすませているのだから、これから死んだはずの夫を殺してもそれは罪に問われない。合法的に殺人を犯すことができるというわけだ。さてこの主婦がどのような行動をとるか、これは映画を観ていない方のために伏せておく。
このレイプ冤罪事件でこの映画のことを思い出した。日本国憲法にも同じ規定があり、それは憲法第39条に遡及処罰の禁止とともに「一事不再理」として書かれている。同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問はれない、と。つまり、このレイプ事件で冤罪で服役した被告は「これから本当に被害女性をレイプしても罪に問われない」ことになろう。むろんこの被告はそんなことはしないだろうし、私もそんなことを勧めているわけでは決してない。だが、同じ罪で二度裁かれることは決してあってはならないがゆえ、もし仮にレイプ冤罪事件で服役した人間がその後に被害女性をレイプしても罪に問われてはならないのが原則だろう。考えてみれば恐ろしい話だ。映画に出てきた夫は自分の都合で死んだフリをしたが、レイプの被害女性は真犯人に本当にレイプされているのだから、一事不再理だなどと言われても再びおとなしくレイプされるわけにはいかないだろう。
冤罪とはこれほどまでに恐ろしい結果を招きかねないということだ。ましてこの事件は鹿児島の選挙違反事件のときと同様、警察権力が面子のためにむりやり被疑者から自白を引き出し、有罪に仕立て上げたとんでもない恐ろしい国家的犯罪だ。二度起こったが三度起こってはならない。本当は一度だって起こってはならないのだ。
10月4日
金森駿君がマジックキャッスルのメンバーに
去年の夏、私は渡米し、何とかあこがれのマジックキャッスルに入ることができた。キャッスルは会員制なので、会員かその招待状がないと入れない。近くにあるマジックショップの店員さんにメンバーを紹介してもらえたのがラッキーだった。そこでマジシャンの金森駿君とであった。彼にはキャッスルの中をいろいろ案内してもらった。そのときはまだキャッスルのメンバーではなく、彼の所属するウィザーズ・インにメンバーが多数所属している関係で出入りしていた。「まだメンバーじゃないのは僕ぐらいですよ」と言っていたので早くメンバーになってもらいたかった。念願がかなってなにより。今後も活躍して欲しい。彼のブログはこちら。
10月3日
ミャンマーの軍事政権に抗議を
9月27日に殺害されたジャーナリスト、長井健司氏は情報隠蔽のために殺されたらしいことがわかってきた。ジャーナリストを警告なしで射殺、彼のビデオテープなども返却されていない。この許しがたい暴挙に対して何のリアクションも起こさなければ、平和な世界に住む資格はない。だが誰もがスーパーマンのような行動を取れるわけではない。ならばできることをしようではないか。まずはミャンマーの軍事政権の行為にたいして批判を行うことだ。長井さん殺害に抗議する会が署名活動を始めた。以下のURLに氏名と肩書きを書き込んでいただきたい。このHPはハンドルネームだが、この署名には私はもちろん本名を書き込んだ。皆さんもどんどん署名してほしいし、この会のURLをどんどん他の人に紹介してリンクして欲しい。署名ページに移るさい、「このセキュリティ証明には問題があります」という警告文が出るが、いたずら書き込み防止のためのものなので、問題はないそうだ。
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/
署名ページ:https://hal.sakura.ne.jp/syomeis/sign
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