|
9月29日
大相撲はどうなってしまうのか
今年6月に稽古中に死亡した力士、時太山(ときたいざん)こと斉藤俊さんが実は暴行を受けていたことが明らかになった。報道されていることがおおむね事実だとすると言葉を失うが、それではブログが書けないので、何とかひねり出してみよう。時津風親方が空のビール瓶で斉藤さんのおでこを殴り、出血させ、その後、兄弟子たちが金属バットで殴るなどの暴行を加えた。翌朝、起きてこなかった(起きられるはずもないと思うが)斉藤さんを無理やり稽古場に連れ出し、普通なら三分が限度のぶつかり稽古を三十分させた。斉藤さんは意識を失って死に至った。
まず指摘しておきたいのが、肉体のプロフェッショナルたちのくせに加減がわからないという体たらくぶりだ。そして自分より弱い者に対して集団で暴行を加えるという卑劣さ。格闘のプロが武器を使わないと相手を痛めつけることもできないのか。死亡した斉藤さんを勝手に火葬して暴行の証拠隠滅を図っている。これまた卑劣だが、名古屋には監察医制度があるのでおそらく被害者の父親が承認しても勝手に火葬に付すことはできなかっただろう。しかし、もし監察医制度のない地域(日本のほとんど)でこのような事件が起こったらと思うとぞっとする。監察医制度は全国に採り入れられるべきだろう。
この件で朝青龍問題など吹き飛んでしまったようにも思えるが、実は逆に深刻化しているのではないだろうか。大相撲の世界が「ちゃんとしている」からこそ朝青龍に対する処分が妥当とみなされる。大相撲の世界が「むちゃくちゃ」なら朝青龍への処分も理不尽ということになろう。時津風部屋のみで起こった特殊な事件だと相撲界は全体から切り離したいだろうが、これは突出したところの氷山の一角と見るのが妥当だろう。モンゴルのエネルギー資源の争奪戦はすでに世界各国で行われており、日本もモンゴルの資源をより多く輸入したいところだが、朝青龍問題がその深刻な障害となりつつある。大相撲の世界が「ちゃんとしている」のなら朝青龍への処分も仕方がないとモンゴルの人たちは納得してくれるだろうが、このようなとんでもない不祥事が起こったとなれば、モンゴルの人たちは自国の英雄が理不尽な扱いを受けていると感じ、日本に対し嫌悪感を抱くことは十分に考えられる。
朝青龍問題が起こったのは、この死亡事故(事件だろうな)のあとだが、この二つがからんで大相撲自体の問題と外交問題に発展し、それが巨大化、深刻化するであろう。時津風部屋を閉鎖するのかどうかはわからないが、人が死んでいる以上、厳しい処分をしなければ話にならないだろう。
9月22日
小金で外交敗戦
逢坂剛のスペインものの小説もよく読んでいるし、スペインには強い関心があり、スペイン語も勉強しているマジシャンの端くれであるところのわたくしであるが、最近由々しき事態が起こった。スペインでは政府とメディアがそろって日本を非難している。
事の発端はマドリードでこのほど開催された砂漠化対処条約(約百九十カ国)第八回締約国会合の事務局予算協議が、日本が予算増額に反対したため、決裂したことだ。予算は前の二年間のそれの5パーセント増しの約千五百万ユーロでまとまりかけていたが、日本だけが反対を貫いた。会合の開催自体に四百万ユーロかかっているそうだが、それも無駄になった。
英BBCは「安倍首相の辞意表明により、日本代表団は本国から予算案を受け入れる権限を与えられなかった」という見方をしており、日本をかばってくれているように思えた。それにたいして日本政府筋は「この程度の予算は官邸に上げる話ではない」と言っている。
あきれてものが言えない。「この程度の予算」をケチったために外交問題に発展したのだ。何が外交のプロであろうか。
キリスト教などの一神教を広めるには森のある場所では無理だそうだ。そこでは森に住む精霊崇拝がどうしても残ってしまう。だから森をなくしてしまえば「天にまします我らの神」を信じやすくなるそうである。一神教がもたらした都市化、砂漠化の反省を今人類はしようとしている。その鍵となるのは日本の多神教といってもいいと思う。それなのに肝心の日本はいったい何をやっているのか。情けないとしかいいようがない。
9月20日
ヘリコプター急襲問題を考える
先日、家の中でテレビを観ていたら、外からバタバタバタ・・・・とすさまじい轟音が響いてきた。テレビの音が聞こえなくなる。うるさいなあ、とまどの外を見ると、空のかなたに豆粒ほどの大きさに見えるヘリコプターが飛んでいった。
それでふと思ったのがハリウッド映画におけるヘリの急襲問題である。ほとんどの人がこんなシーンをごらんになったことがあるだろう。
事件の謎を追う主人公。苦労して手がかりを掴む人物Aを探し出す。Aに迫る主人公。「黒幕は誰だ!」
「わかったよ、言うよ。黒幕は・・・」
突如静寂を打ち破ってヘリのプロペラの爆音が鳴り響く。窓の外には武装ヘリがホバリングしている。ヘリからの銃撃。人物Aは口封じのため殺される。主人公は愛用の拳銃で反撃するが、ヘリは爆音とともに空のかなたへ去っていく。
これには以前からおかしいと思っていた。なぜヘリは窓の外に来た瞬間にプロペラ音を出し始めるのだろうか。私が記憶しているだけでも、「リーサル・ウェポン」「ロング・キス・グッドナイト」(どちらもシェーン・ブラックの脚本だな)、「24サードシーズン」にヘリの急襲場面が出てくる。主人公は車のエンジン音はもちろん、殺し屋のかすかな足音にすら気づくのに、ヘリの爆音には気づかない。これはこれでいいのだろうか。こんなことを気にするのは私くらいのものだとは思うが。
9月10日
テンヨーが動いたみたいだ
先日書いたネタバラシマジックショップだが、昨日訪れたときにはネタバラシ展示がなくなっていた。非常によいことだ。というより当たり前なのだが。
マニアの人たちとなぜこんなことが起こったのか話してみたのだが、客からのクレームを恐れたためではないかという意見が出た。これは納得できる。マジックのタネはそれが優れたマジックであればあるほどシンプルであり、知ったとたんにがっかりすることも少なくない。がっかりした客が文句をいってくることはあるのだろう。それがいやだから最初からタネをばらしておき、文句は言わせないようにしたのかもしれない。ハンカチーフマジックのギミックとチャイナリングのトリックはあまりにシンプルなものだ。それに対してディミニシング・リターンズのトリックは知ってもがっかりしないものと考えられる。だから私が注意した直後の段階ではディミニシング・リターンズのみタネを隠したのだろう。
それにしても、この売り場は自分たちの哲学で仕事をしているのではなく、問題を起こさないようにしようとしか考えてないようだ。そんな姿勢が逆に問題を作り出しているのだから皮肉なものだ。
9月9日
ジャズフェスと高校生のマジックと
昨日、ジャズフェスを聴きに街中まで繰り出した。13時半から宮城県美術館で「ヤン・ラングレン黄金トリオ」の演奏があるというので、地下鉄勾当台公園駅そばの市民広場から歩いて移動。美術館の手前に仙台二高があり、たまたま文化祭をやっていた。仙台二高の奇術部はレベルが高いと評判なので一度は観ておこうと思っていたのでちょうど良い。だが、マジックをやっているのは13時半から15時までだという。美術館での演奏が終わったら観に来よう。
美術館はすでに大勢の人たちが押しかけている。司会の女性が出てきて、「これから一時間半の間、演奏をお楽しみいただきます」と言ったので複雑な気分になる。途中で切り上げなければ二高のほうは見られない。演奏が始まる。ヤン・ラングレン黄金トリオはスウェーデンのバンドだ。北欧ジャズには関心があったが、なかなか素晴らしい演奏だ。これは最後まで聴かなければもったいないが、二高のほうも観たい。葛藤にさいなまれるが、ジャズのほうを三十分犠牲にして二高へ向かった。
つまらんかったら許さんぞ、という思いを抱いてドアを開く。中ではクロースアップ・マジックが演じられていた。「シカゴ・オープナー」という最後にどんでん返しがあるマジックを演じている最中だった。ちゃんとできていたが、失敗のふりをするところをもっとはっきりと分かりやすく演じたほうが良かったように思えた。その後、他にもカードマジック、ボール、コインなど三人の演技を観たが、どれもかなり上手で感心する。最後のコインを披露した高校生はビジュアルもよく、かなり上手いのでひょっとすると世に出るかもしれないと思った。コインを扱っている途中でチャリーンという音が響いたので、失敗したようだが、それをちゃんとフォローしたようでなかなかよい。まあ、これならヤン・ラングレン黄金トリオを三十分犠牲にしてもしょうがなかったかもしれない。
9月3日
アホバカショップに制裁を
あえて名前はださないことにしよう。ある百貨店のパーティー用品売り場を訪れた。マジック用具が多く置いてあるところだ。そこでとんでもないものを見てしまった。何とショーケースの中のマジックの道具のタネがわかるように展示されていたのである。どれもテンヨーの商品で「ハンカチーフマジック」「チャイナリング」「ディミニッシング・リターンズ」の三点だ。しかもご丁寧に箱の中の説明書を出して客が手にとって読めるように置いてある。唖然とした。幻を見ているようで、しばらく自分の感覚を疑ったくらいである。この売り場の人間は頭がおかしいのであろう。頭がおかしい人間にはどうやって説明すべきなのか? しばらく躊躇してから、店員の一人を呼びつけて言った。
「これ、何でタネばらしてるの?」
「はっ、す、すいません。ただいま、担当の者をお呼びいたします」
しばらくしてからおばさんといったらかわいそうなくらいの年齢とおぼしき女性店員がやってきた。この店員が売り場責任者なのかすべての売り場のクレーム担当なのか訪ねている余裕など私にはなかった。何でしょうかというので答えてやった。
「なんでタネがばれるように展示してあるんだ? マジックを売るというのは単に道具を売るのではなく、情報を売っているんだ。それなのになぜばらしているのか、意味がわからない。マジックのタネを教えられる際には金を払わなければならない。金を払うからこそ不要にタネをばらすことがなくなり、マジックの不思議さが失われることが防がれている。そうやってマジックの秘密は守られ、おたくのような商売も成り立つんだ」
無残にさらされている「ハンカチーフマジック」のギミック。20世紀マジック界最大の発明品といわれているそれを指差して私はいった。
「こんなものをと思われるかもしれないが、これはプロも使っていて、これの使い方ひとつで信じられない現象が起こせるんだ」
四連リングのタネのあの部分もばっちり見られるようになっている。
「これだってうすうす気づいている人はいるかもしれないが、名手の手にかかれば本物の奇跡に見える。そしてタネを知っててもばらさないのが観客のマナーというものだ」
店員はすみません、すみませんと連呼する。
「それから信じられないのがこれだ」私はディミニッシング・リターンズの説明書を手に取った。「これなんかかなり新しいネタだ。もちろんプロも営業で使っている。これをばらすなんてどうかしている」
「とにかく、私は長年マジックをやっているが、こんな売り場は初めて見た。まったく信じられない。私が黙っていても、ここを通ったほかのマニアがメーカーに連絡することはありうる。そうなったら、もうここに商品が卸されることはないんだよ」脅しつけるように言ってやった。
店員はすぐに幹部と話をして善処すると言った。
「このギミックは見せちゃダメだ。リングのこの部分も絶対に見えないようにしなくちゃならない。説明書を見せるなんてもってのほかだ」
店員はかしこまって、すぐに幹部と連絡を取ると再び言った。とりあえずそれを信じることにした。「また来るからね。このままだったらテンヨーに連絡するよ」そういって私は売り場を離れた。すぐにでもちゃんと対処をするように思えたし、その場にいるのが不愉快だったから。だが私は甘かった。9月1日、土曜日のことだった。
翌日、イッセー尾形の公演を見終わった後、またその売り場を訪れた。確かに昨日とは変わっていた。説明書はなくなっていた。だが、ハンカチを消すあのギミックとリングのタネは相変わらず丸見えの状態で展示されていた。なんともいえないげんなりとした感覚に支配される。小さな部分で抵抗し、ちっぽけなプライドを守ろうとする姑息さ。本当なら再びこの売り場の店員と対決してタネの展示をやめさせるよう攻撃しつづけるべきだったのだろうが、私も情けない人間で脱力感に支配されており、ここで派手な喧嘩をすればイッセー尾形の感動がすっかりなくなってしまうような気がしてその場を離れた。それにこれは単にマジックを愛する人間にとっての問題だけでなく、テンヨーにとっての営業妨害問題でもある。
そして本日、私はテンヨーに電話を入れ、ことのすべてを報告し、しかるべき対処をしてくれるよう頼んだ。電話に出た女性社員は私に礼を言ってくれた。
ものを売る会社にとって、商品とは自分の子供と同じだろう。今回の件は、大切に育て上げた娘が意味もなく裸にされて大衆の目にさらされるに等しい出来事だった。重要なのはこういったやり方に店の本質が現れているということだ。昔のマジックのタネならどんなに重要なものでもばらしてしまってかまわないという発想には商品を大事にする気持ちがこれっぽっちもないことが現れている。幹部と相談の上でこうなったというのであれば、他の商品に対しても同じような扱いしかしないということだ。ものの作り手の気持ちも買い手の気持ちもどうだっていいのだ。そんな態度を貫いていれば、その報いは自分たちに跳ね返ってくる。
タダでタネが知りたいという人間が訪れることのないよう、一応その百貨店の店は伏せてある。だが、このサイトを見る人間は知性があると私は勝手に思っているのでその店の利益になることはしないだろうと信じる。
9月2日
イッセー尾形はやっぱりスゴい!
今日、仙台市民会館小ホールでイッセー尾形の公演が行われ、観てきた。生でイッセー尾形を見るのは今日が初めて。私が最初に彼の一人芝居のことを知ったきっかけは、今は亡き作家、景山民夫がエッセイで絶賛していたことだった。もう15年近く前になるのだろうか。「イッセー尾形を語るには本を一冊書かなければならない」とまで賞賛していた。ビデオになったものはほとんど観ており、いつか生で見たいと思っていた。イッセー氏の公演は大人気なのであまり宣伝をしなくてもチケットが売り切れる。だからよほどアンテナを張って情報に敏感にならないと観ることは難しい。
会場に着き、アンケート用紙を渡されたが、それにはイッセー氏が仙台の客層や雰囲気を大いに気に入っており、仙台ではのびのびと演じることができると書かれていた。そう聞かされるといやがうえにも期待が高まる。
最初に演じたのが、小さな島のタクシー会社の荷物係りの男。大人数の観光客が珍しくフェリーでやってきたが、2台しかないタクシーはすべて出払ってしまっている。おしゃべりを始める男。「あんたたち、何でこんな島にやってきたの?・・・・・皆既日食?」表情が何それ?と語っていたので思わず私だけ噴出してしまい、バツの悪い思いをする。その後の「誰の?」という発言で皆が爆笑する。さらに「今年は中止じゃなかったの?」などと知ったかぶりをするので大笑い。
その後も「左翼の同窓会の世話をする新人ホテルマン」「孫を公演に連れて行く暴走老人」「リンボーダンスとウクレレが得意な老女専門キャバクラのホステス」「迷子の世話をすることになったスーパーで働く化粧品販売員」「喋るときと歌うときでは声ががらりと変わる114歳のシンガーソングライター」などのキャラクターを演じた。どの演目も良く練られていて実に面白く、あっという間の約二時間。終わった後、イッセー氏が舞台で挨拶したのだが、キャラクターが勝手に動き出していたと語った。
イッセー氏の一人芝居の特徴は、彼と話をしている周囲の人の姿が観客の頭の中に描き出されるところにある。落語にも通じる日本独特の表現形態で、海外でも非常に評価が高い。DVDをレンタルできるので、是非一度ご覧になると良いと思う。
|