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8月28日
ヨーキムのレクチャーに参加してきた
仙台駅東口にある仙台市民文化センターにおいて、ヨーキム・ソルバーグのレクチャーが行われた。ヨーキムはデンマークのプロ・クロースアップマジシャンで、サロンも上手。デンマークの女王と知り合いだそうで、毎年招かれてマジックを演じるそうである。そして彼の通訳を務めるのが、なんとあの二川滋夫先生。マジックをやらない方はご存じないだろうが、あのふじいあきらにコイン・マジックの手ほどきをした人物といえばその凄さが想像できるのではないか。参加人数は30人で締め切られたが、マニアに対しての口コミのみに係わらずほどなく満員になった。
会場について、ノートに自分の名前などを記帳したのだが、そこに「高橋智之」「庄治タカヒト」の名前が。庄治タカヒトはプロ・マジシャン。高橋智之とは仙台出身のプロ・マジシャンで「ゆうきとも」の名前で活躍している。他にも仙台のプロやマニアはもちろん、東京からの参加者もたくさんいた。今回は仙台と新潟の二箇所でしかレクチャーをやらないそうだ。
レクチャーが始まる。最初にヨーキムが取り出したのが、スポンジ・ボール。そのときの彼の一言が彼の哲学を如実に表していた。
「この中でスポンジ・ボールをやる人は?・・・少ないようだ。マジシャンは、スポンジ・ボールなんて、柔らかいし簡単に手に隠し持てる、大したマジックじゃないなんて考えてる。だけど、Don‘t underestimate.(見くびっちゃダメだ)観客の手の中のボールが増えて出てきたとき、悲鳴を上げる観客すらいる。どんな難しいカードマジックより、スポンジ・ボールのほうが観客の反応は強烈なんだ」
エンターテイナーは観客が喜ぶことを一番に考えるべきだということだ。自己満足で演じても観客は喜んでくれない。
ユーモアにあふれたマジシャンで始終観客を笑わせ続ける。
「難しいテクニックを駆使して観客に頭を抱えさせることはできるだろう。でもそれで観客は楽しいだろうか。観客には楽しんでもらって演技を終えたほうがいい。だから僕は笑いを取り入れるんだよ」
マニアやプロが見ても信じられない鮮やかな現象をつぎつぎに繰り出す。
「すべてはタイミングなんだ」このタイミングという言葉を彼は幾度となく強調して使った。「あまり指先の動きが上手でなくてもタイミングがよければ、観客を欺くことができるんだ」観客の注意力が途切れるその瞬間を狙って秘密の動作を行う。そのために彼は得意の笑いを使い、観客の緊張が途切れた隙間を利用する。これはばらしていいものか迷ったが、書いておこう。こういった笑いを使ったミスディレクションはしばしば行われる。
笑いを使ったミスディレクションを行う人の中に、「ただ笑わせているだけじゃないんだ。ミスディレクションのための笑いだから意味がある」などと言ったり、ほのめかしたりする人がいる。だが、トリックが笑いより重要視されるべきという考えは必ずしも正しくないと思う。トリックの要素としての笑いではなく、純粋な笑いがあってもよい。笑いそのものが観客をリラックスさせ、それにより不思議さを強調する働きがあるのだから。おそらくヨーキムも同じ考えだと思う。
「テーブル・ホッピング(マジシャンがレストランなどのテーブル席を回ってクロースアップ・マジックを見せること)をやるとき、他のテーブルの観客が観たい観たいとやってくる。観客はどこからでも観たがる。マジシャンにとって都合が悪い後ろから観ようとお構いなしだ。だけど、「そこから観るな!」などと言って不快な気分にさせちゃいけないよ。それよりどこから見られても大丈夫なように対処をするべきだね。彼らのパーティーなんだから」
Their partyという英単語が私の耳に突き刺さった。だが、実際はどこから見られても大丈夫な演技をするのは非常に難しい。難しいからといって放り投げてしまえばおしまいだ。
その他、カップ・アンド・ボール、三本ロープ、コイン・マジックなどさまざまなマジックを披露してくれた。どれも超一流の腕前。ただ上手いだけではなく、デンマークの爆笑王的な笑いが演技全体を包み込んでいる。
「凄いマニアックな演技に凝っている人はいるよ。だけどそういう演技って面白くないんだ」
技術至上主義に対する痛烈な批判。だがそういう本人の技術は超一流。だからこそこういう発言ができる。
真のエンターテイナーの哲学と技術を学ばせてもらった気がした。
8月25日
アメリカは心理的に日本を必要とする
ある晴れた日、何千人もの米国人が奇襲で殺され、世界規模の戦争へと駆り立てられた。その敵は大量殺人を生み出す自爆攻撃に走った。アルカイダや911の話ではない。その敵とはテロ国家、大日本帝国。米国は戦争に勝ち、日本を民主化させることに成功し、そのおかげで日本は復興し米国のもっとも強力な同盟国に変わったそうな。めでたしめでたし。だから中東でも同じことができる。
22日にブッシュがカンザスシティーで行った演説だ。これを聞いて、怒りを感じるというより、「痛々しい」と感じた。このブログでも何度か紹介しているが、精神分析学者の岸田秀和光大学教授によれば、アメリカは原住民のネイティブ・アメリカンを虐殺したことにより成り立っている国で、その虐殺が民主主義を築く礎になったという自己欺瞞を行っている。その結果、虐殺が虐殺ではなく、民主主義の現われであることを証明し続けなくてはいられなくなり、他民族に対して暴力を用いて民主主義を押し付けることをやめられない。そしてそれが上手くいった(ように見える)例が日本なのである。それゆえ、アメリカは日本を心理的に必要とする。
ベトナムでは敗戦。湾岸戦争における時点ではアメリカはフセインを殺すことができなかった。ソマリアではアイディード将軍を逮捕できず、撤退。911のオサマ・ビン・ラディンも捕まっていない。中東は以前よりはるかに危険になっていることは明白だが、それをアメリカは認めようとはしない。アメリカの「正義の味方パフォーマンス」の成功例はほとんどない。唯一日本がその成功例(のよう)なのだ。だが、これもアメリカに洗脳されたままでよしとする人以外の日本人にとっては到底受け入れられる考えではない。そもそも鎖国のままでよいとした日本に大砲を突きつけて開国を迫ったのはアメリカである。外国とつきあわなければならなくなった日本に経済封鎖を行ったのもアメリカ。手違いにより「奇襲」になってしまったのと、最初から奇襲するのはまったく違う。そして軍事施設に対する攻撃と民間人を狙った攻撃を一緒にするのはナンセンス以外の何物でもない。アメリカ人の中でも知性、教養に欠ける人たちの認識というのは、
ああっ、飛行機の自爆攻撃だ! カミカゼだ! ジャップもアルカイダも一緒だ!
といったところであろう。
アメリカによって日本はどん底から経済的に一流になったとアメリカは言う。だが、そもそもアメリカが経済封鎖を行い、戦争に突入せざるを得なくなる以前、日本は豊かであった。もちろん、アメリカ人の中でも教養のある人たちからはこのブッシュ発言に対しての批判が相次いでいる。
多神教の日本と一神教の中東を一緒くたにできるわけがない。日本人の洗脳に成功したからといって中東でも同じようにできるとは考えが浅すぎる。そして日本でもアメリカの洗脳が解けている人は増え始めている。
8月18日
盛岡の「不思議」に行ってきた。
仙台のマジック・バーにはすべて行ったことがあり、東京にも足を伸ばした。東北でマジック・バーのある県といえば、岩手県だ。他は良く知らない。それで盛岡の「不思議」という店に行ってきた。
7時開店と同時に中に入る。マスターの宮野氏に「こんな時間に来るということはマニアですね」と見抜かれる。
カード、コイン、タバコ、カップ・アンド・ボールなど一通り見せてもらった。現象としては大体見たことがあるものが多かったが、演技の水準は立派なものである。自分の知っている手順とは違うものを見せられると、私などの能力ではどうやっているのかいまひとつ分からない。独自のアイデアで手順を組んで見せているところにオリジナリティを感じさせる。カップ・アンド・ボールは透明なグラスと陶器の茶わんを組み合わせて独自の見せ方をしていた。ジェイソン・ラティマーのアイデアと古典的なカップ・アンド・ボールのやり方を組み合わせているようだった。
コインマジックをする際に、私からコインを借りて演じていたが、そうする必要はあまりなかったのではないかと思う。仕掛けがないというアピールだが、仕掛けがあるかどうかということはマニアにとっては分かる。だが、それでも不思議な現象を見せてくれた。
マジック・バーが楽しいかどうかは第一に店員の人柄、第二にマジックの良し悪し、第三に客層の良し悪しであろうか。客は私の他にその日は一人しかいなかったが、マジックと店員の人柄が良かったので楽しめた。他の店も紹介してくれたが、歩いている間に急に疲れてきて、時間も遅くなっていたので、ホテルに直行した。
8月15日
集団自決問題が分かりにくいのは洗脳問題がからんでいるから
先の日米戦争における沖縄での集団自決問題が最近テレビでも何度か取り上げられたが、この問題が分かりにくいのは洗脳問題がからんでいるからだ。
今までに一般的に信じられてきたのは「赤松嘉次という当時25歳の大尉が渡嘉敷島の住民に対し、軍の行動を妨げないため、食料の確保のために集団自決を命じた。住民たちは配られた手榴弾を囲んで爆発させ、死亡。死に切れなかった者たちは互いに刃物などで切りあって死んだ」というものだ。
ここで人間はどのようなときに他人の命令に従うのかということを考えてみたい。誰かの命令に従うのは
もし命令に従わなければ、命令者がより大きな苦痛をもたらす場合
である。なぜ気に入らない上司の命令に従うのか。従わなければ首になるからである。命令に従うか、仕事をやめるかという選択を迫られ、より苦痛の少ないほうを選ぶとするなら、命令に従うということになる。
赤松大尉は「死ね」という命令を下したとする。では「死」より大きな苦痛を赤松大尉は住民に対して与えることがありえただろうか。
要するに「死ねと言われたら死ぬのか」問題なのだ。
ここまで読んで「いや、戦中では日本軍に逆らうなんて考えられなかったんだ。命令は絶対だったんだ。死ねと言われれば死ぬしかなかったんだ。お前はそれを忘れている!」と思われた方もおられるだろう。だから最初から言っているが、洗脳問題がからんでいるということである。
私は赤松大尉は自決命令など出していないと考えている。手榴弾が配られたことが軍の関与を決定付けているという考えがある。これは防衛召集隊という現地から召集された兵隊が米軍の攻撃を受けて混乱に陥ったさい勝手に家族に配ったとされている。赤松大尉が日本軍の利益のために自決を命じたとするなら、最初から刃物を使わせれば良かったのだ。貴重な武器である手榴弾を使わせる必要はなかった。それにいかに軍の命令が絶対とはいえ、たかだか25歳の若造の「全員死ね」という命令に大人たちがやすやすと従うものだろうか。
当時の日本では「一億総玉砕」「生きて虜囚の辱めを受けず」といったスローガンが掲げられ、それを皆が信じていた。どの時代でもどの国でもそうだと思うが、敵軍に侵略されたら男は殺され、女は陵辱された上に殺されると考える。それを加速させ、だから戦争に協力せよというのが戦時における国民への洗脳である。日本全国でその洗脳が行われており、米軍の本土上陸が沖縄だったから沖縄で集団自決が起こったと考えるのが自然ではないか。
「死」以上の苦痛がなければ「死ね」という命令はありえない。だから単に非道な命令があったのがけしからん(私はなかったと考えているが)という見方ではなく、人間は考え方次第で悲劇に見舞われたり、救われたりすると考えたほうが良いのではないかと思うのである。
8月14日
スピリット百瀬はただのカード投げのおっちゃんではない
日テレ系で今夜放送された「ドリーム・ビジョン」にスピリット百瀬が登場した。番組では「カード投げの達人」として紹介され、彼が鮮やかにカードを投げてキュウリを切断する様子が流れていた。これはこれでかっこよかったが、視聴者の目には百瀬氏がただのカード投げ専門の芸人にしか映らなかったのではないかと思ったのである。
このスピリット百瀬氏はあまりテレビに出ることはないのだが、実力派のマジシャンの一人でマジックの世界では有名な人物の一人である。私も彼のレクチャーに参加したことがあり、そのことはこのブログにも書いたことがある。百瀬氏はステージマジック、クロースアップマジックなどさまざまなマジックに精通しており、あのカード投げは彼の技術のほんの一部分に過ぎない。だが、あのカード投げは彼の持ちネタのなかではもっとも有名なものなのでテレビで取り上げられることも多い。新春かくし芸大会において過去に堺正章にこの技を伝授したこともある。
とはいえ、あくまで一部分にすぎないので、世間の人がカード投げ専門の芸人のように思ってしまうのは少なくとも私にとっては納得がいかないわけであり、こんな文章を書いたということだ。
8月10日
広務は役職名ではなかった
久しぶりに更新するというのにくだらない話になる。自由民主党の元衆議院議員野中広務氏のことだ。恥ずかしながらついこの間まで広務というのは何かの役職名だと思っていた。専務、常務、広務みたいなものというイメージがあった。さすがに普通の会社に広務などという役職がないのは知っているが、自民党内部にはそのような役職があるのではないかと漠然とではあるが思っていたのだ。だから報道で「野中広務元自民党幹事長が・・・」などと言われると、「自民党の野中さんは広務と幹事長の二役をかねているのは分かったが、野中何広務元幹事長なのだ!」とまるで筋違いの怒りを覚えていたものである。
このような勘違いはなかなか自分では気づきにくいというのが厄介である。明石家さんまのエピソードで「竹脇無我というのは四文字熟語だと思っていた」というのは有名だ。他人事だと笑っていたが、うかうかしているといつ足元をすくわれるか分かったものではない。
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