ものぐさ雑記 ’07年 7月
本文へジャンプ

 

7月28日
 そんなに仲間に褒めて欲しいか?

 昨日、あるマジック・バーに行ってきた。そこはちゃんとしたまともな店であるが、ときどきちゃんとしていない客が来ることがある。そんな客に出くわしてしまった。その男自身、マジックのマニアなのだが、店のマスター(その男の大学の奇術部の先輩にあたる人物)に対してタメ口を利いていたところから嫌な予感はしていた。そして酔っ払っていたせいもあるとは思うがその男、私に対してマジックの講釈をし始めた。「さして大したことのないあなたに教えてさしあげましょう」という感じで上から目線で長々と講釈をたれる。そこで使われるマジック用語が間違いだらけなのに呆れ、訂正してやると、「これはあなたを惑わすための演技なのですよ」などと見苦しい言い訳をする。
 マジシャンを騙せるかどうかがプロとアマチュアの違いであるという考え方を持っていて、私に対して「マジシャンをも騙せるマジック」を見せてくれた。カード当ての一種だが、そのトリックはオーソドックスなもので見ているそばから分かった。「これで当てたら凄いでしょう」「不思議でしょう」と言うので「不思議ですね」と調子を合わせてやると、「あなた、驚くでしょう」としつこく言ってきた。たまりかねて「それは現象として不思議かということ? それとも私にトリックが分からないということ?」と聞くと頷くので、「私はそのトリックは分かります。でも現象としては不思議だと思いますよ」と言ってやると、落胆した表情をした。それを堺に反対側にいた人とおしゃべりを始めると、その講釈男は居心地が悪くなったらしく、店を出てしまった。その後、店にいたマニアの一人から「よく我慢しましたね」といわれた。
 この講釈男にとってのマジックとは「自分が賞賛されるための道具」でしかない。観客に感動を与える喜びのためにマジックをやっているのではなく、「お前を騙せたのだから、お前よりオレは頭がいいのだ。どうだ、オレって凄いだろう」というアピールが主たる目的である。その手のマニアは裏側を知っているマジシャンを騙すことに至上の価値があると考えており、それができるのがプロだと考えている。ちょっと考えてみれば分かるが、観客はほとんどがシロウト(嫌な表現だが)で、その人たちに快楽を与えることを第一に考えなければプロとしての仕事が成り立つことはありえない。だから、マジシャンを騙せるのがプロなどと言っている人間はアマチュアだけである。自己顕示欲の権化であるところのマニアの芸を見せられると、観客は「ハイハイ、凄いですね、もう見たくないよ」と思ってしまう。眞鍋かをりが「アマチュアでマジックやっている人ってウザい。やたら見せようとして、楽しませようとしていない」と言っていたがまったくそのとおりだ。
 観客に喜んでもらうより、マジシャン仲間での賞賛を求めるのは、コンプレックスの裏返しではないか。自分が凄くないから凄いでしょうと言われたい。言われたいがために観客を見下した態度を取る。その結果、観客はそのマニアから離れていく。マニアは観客に見てもらえないので、同じマニアを騙すことにさらに執着するようになる。このような悪循環に陥っているマニアは少なくないのではないか。仲間内での賞賛より、観客に喜んでもらうことを第一に考えたいものだ。エンターテイナーとしてはそれが当たり前なのではなかろうか。


7月22日
 本当に中国マスコミの暴走なのか?〜段ボール肉まん捏造事件

 中国で段ボールを苛性ソーダをつかってふやかして肉まんに混入させていたという報道がされた。後日、それはマスコミが視聴率ねらいでおこなったやらせであるとの報道がなされた。これは本当に視聴率ねらいによるものなのだろうか。段ボールをふやかすよりも安価に豚肉を減らすやり方はあるだろうから、おそらく段ボールの混入は捏造だろう。「やらせであった」という報道を聞いて多くの人が「やっぱりそんなに酷いことをするわけがないだろうな。思ったより中国の食品は酷くないのではないか」と思った人は多いのではないか。
 現在中国産の食品の安全性が世界規模で問題になっており、中国政府はその火消しにやっきになっている。だが、この不信感は簡単に払拭できるものではない。安全ですよ、と連呼したところで効き目はあまりないだろう。
 人間の自律神経系の交感神経が高ぶっている状態では単にリラックスさせようとしても上手くいかない。そんなときは逆に緊張状態を過度に作り出してから一気に脱力させると上手くリラックスさせることができる。セラピーのテクニックだが、これと同じことがこの段ボール肉まん騒動で行われたのではないか。
 中国産の食品に対する不信感を逆に最大限に高めてから、「そんなことはあるわけないでしょう」と安心させる。それにより不信感はかなり和らいだのではなかろうか。
 私の個人的な考えだが、中国においては政府によるマスコミのコントロールは日本人が考えるよりずっと利いているのではないだろうか。この捏造さわぎにより、報道への不信感は生まれたが、食品の安全性の回復(むろん完全回復はありえないが)と秤にかけたらメリットのほうが大きかったのではないだろうか。国家規模による食品の安全性キャンペーンのための心理誘導ではないかと思うのだが、どうなんでしょうか。


7月17日
 おにぎりを届けるのになぜ半日もかかるのか?

 新潟の地震で被災された方々は大変お気の毒だと思う。首を傾げざるをえないのは、地震が起こったのが午前十時過ぎで自衛隊の炊き出しのおにぎりが配られたのが夜の十時過ぎだったということ。どうしてそんなに時間がかかるのだろう。出来合いのおにぎりをヘリで運んでくばってやれば済む話ではないのか。台風は去った後だったからヘリを飛ばすのには支障はなかっただろう。どうもよくわからない。参院選も近いが、この地震への対処いかんでまた安倍政権の支持率にも影響するだろう。



7月14日
 ウチの社ではクレームが止まらない

 私はある製造業で働いているのだが、最近商品のクレームが多発している。当然商品の売り上げに大きく影響するので、上層部が「緊急事態宣言」を発令しているが、問題の本質を理解しているとは思えない。以前にもこのブログに書いたが、私の会社では日本型成果主義を導入している。末端の社員一人一人にも適用される成果主義である。この「下っ端だろうと、いや、下っ端だからこそ成果を上げないといつ首を切られるか分からないぞ」というメッセージは強烈に各々の社員に浸透した。上層部はそんなつもりはないと主張するかもしれない。しかし、ほとんどの社員がサービス残業までして生産性を上げようとしているからにはそのように受け止められたということだ。とにかく自分の生産性が人より上でなくては生きていけないとなれば、
全体の生産性より自分の生産性を上げることを優先する
ということになる。具体的には後工程に迷惑をかけようが、手を抜いて自分の生産量を上げようというメンタリティーが生まれる。数をこなして質は犠牲にする。オレがオレがで他はどうでもよければ全体の水準は下がり続けるのは明白だ。互いに面倒を押し付けあい、傷つけあっていれば、雰囲気だって当然よくない。コンプライアンスという言葉が連呼されているが、それはお役所や世間に叱られたくないというレベルから発している。サービス残業をやめなさいといっているだけマシではある。だが問題の本質はそれほどまでに恐怖を感じさせられれば利己主義に陥り、全体の利益を軽視しがちになること。そして社の利益のために法を破ってでも自分を傷つけることをしていれば、それが商品の瑕疵につながり、客を傷つけ、結局回りまわって会社も傷つけることになる。そのことを上の人間が本当に理解しているとは思えない。向上心から生まれる競争ではなく、恐怖心から生まれた競争を強いられているのが問題の原因だ。その恐怖への対処をしているようには見えない。いち早く日本型成果主義を取り入れた富士通ではすでに崩壊しているということだ。