ものぐさ雑記 '07年5月
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5月21日
 公務員の人権

 また愛知の立てこもり事件のことについて書く。撃たれた警官が五時間半救出されなかったことだ。躊躇しているあいだに手遅れになった可能性も極めて高かった。これは現場で働く公務員の人権の軽視といっていいだろう。もちろん緊急事態においては公務員のほうが民間人よりも命を危険にさらさなければならないといえるだろう。だからといって不要に公務員の命を危険にさらしてはならない。
「極秘捜査」(麻生幾著)という本がある。オウム真理教と当局の攻防を描いたドキュメントだ。サリンが撒かれた地下鉄内を洗浄したが、まだサリンは残留しているかもしれない。空気中に残っているかもしれないサリンを検査する機械はたまたま使えない状況にあった。確認手段としては人体実験しかなかった。自衛隊の化学学校教官、近藤道弘一尉は自ら人体実験を行うことにした。もしサリンが残っていた場合、すぐに硫酸アトロピンなどのサリン解毒剤を打たなければ命はない。だが、何と近藤は解毒剤を持たずに地下鉄構内に入り、人体実験を行うのである。もし自分が倒れたら担いで外に出すよう消防隊員に頼んで。これは自分で解毒剤を注射するのは医師法に違反するからだという。この部分を読んで私は信じられない、信じたくない。嘘であってほしいと強く願った。アトロピンを持っていけばよかったのだ。そもそも医師法とは何のためにある? 無免許の医師による不適切な治療による害を防ぐためではないか。患者の人権を守るためのものだ。この場合、もしサリンが残っていたら、法律を守って命を失うということになっていた。法律が人間のために存在するのであり、人間が法律のために存在するのではない。だが、状況によってはどんなに守るのがばかばかしい法であってもかたくなに守ろうとするのが公務員であるようだ。それが人の命を危険にさらすことになったとしても。この近藤一尉は立派な自衛隊員かもしれないが、自分の人権を不要に軽視しているとしか思えなかった。そして一般的には自分の人権を軽視するものは他人の人権をも軽視するものなのだ。阪神大震災のことを思い出してほしい。日本の医師法を守るために、外国の医師たちが協力しようとしてくれたのをむげに断った。もし外国の医師の派遣を受け入れていたら助かった命がどれだけあったか。
 現在の苦境に対処するのに法律や世論、慣習などが敵対する場合もあるかもしれない。だが、はいそうですかと不要に命を危険にさらすことがあってはならない。ギリギリのところを見極めながら最善の策を講じていかなければならない。。


5月19日
 
解決したと言っていいのか

 18日の午後8時48分、大林容疑者が投降し、逮捕された。一応事件は解決した。だが、この事件では警察の危機管理能力が決定的に欠如しているということが明らかになったといっていいだろう。逮捕後の報道では警察関係者たちが「慎重論」を唱えていたが、「慎重」なのではなく単に決断ができなくて躊躇しているうちに時間が過ぎていったとしか見えなかった。人命尊重ということだが、五時間半血を流しながら倒れていた警官の人権はどうなるのか。自分たちの人権を守れずに一般市民の人権を守ることはできない。犯人が受傷せずに投降、逮捕されたことが今後の解明のためにはよいことではある。犯人の投降は交渉が実を結んだ結果だと警察はいうだろう。それにしても被害が拡大しすぎている。佐々淳行は警官が撃たれた時点で突入すべきだったといっているが、子供二人が撃たれているのが分かった時点で突入を考えるべきだったのではないかと私は考える。おそらく秩序タイプの犯罪者よりも交渉はしにくいだろう。警察には特殊音響閃光弾があるし、熱探知機もある。なければ買ってほしい。今はノン・リーサル・ウェポンといって音で犯人を無力化する武器もある。そういったものを十分に駆使して犯人を確保する能力をつけてもらわないと市民としては安心できない。もちろん交渉人を育てることが一番重要だと思うが。


5月18日
 
何だかなあ、の立てこもり事件

 またまた立てこもり事件が起こった。今度は愛知県。元暴力団員の大林久人容疑者が子供二人を拳銃で撃ち、怪我をさせ、警察官二人を撃った。一人は重傷、一人は死亡してしまった。元妻の森三智子さんを人質にしてほぼ一日が経過した。このブログを描いている16時の時点でわかっているのは午後2時50分に森三智子さんが自力で脱出し、犯人はいまだ篭城中だということだ。
 最初から「何だかなあ」という思いが私の頭の中を支配していた事件である。犯人の犯行目的がよく分からない。いうなれば無秩序型の犯行なのだろう。
 拳銃を持っているという情報が警察には入っていたはずだが、最初に駆けつけた警官二人は防弾装備などしていなかったようで、一人が撃たれて倒れ、動けなくなる。
 夜九時ごろにその警官の救出に成功するが、その直後、犯人が一人の警官を撃った。愛知県警のSAT隊員林一歩巡査部長だ。彼は防弾チョッキを着ていたというが、鎖骨のあたりに被弾し、死亡。亡くなった巡査部長には気の毒だが、油断があったのではないか。防弾チョッキは頭部まで防護できないのだから、盾に身を隠していなければ大変危険なことは想像がついたと思うが。
 このタイプの犯人は自暴自棄になっていると思われるので、人質を殺害して自分も自殺するということは十分考えられた。だが、夜陰に乗じての突入は行われず朝を迎えた。犯人との交渉が行われていた模様だが、いわゆる交渉術を学んだ専門のネゴシェーターが対応したのかよくわからない。犯人に撃たれて脱出した次女に説得させたというのだから、本職のネゴシェーターではないのかもしれない。アメリカなどでは基本的には専門の交渉人が交渉を行うものだといわれている。
 そして発生から23時間経った午後2時50分、森三智子さんがトイレの窓から脱出し、保護された。このことから考えるに、次女を通じて行われた交渉が実を結んだとは考えにくい。警察の仕事にいいところが見当たらないのだ。非常に残念。
 いまだ犯人は立てこもったまま。人質がいない以上、犯人を殺害する危険を起こしてまで突入したくはないだろう。だが、犯人の発砲により流れ弾による被害が出るかもしれない。家には食料もたっぷりあるだろうし、ライフラインをカードにした交渉も難しいだろう。結局痺れを切らしてこの間みたいに突入ということになるのだろうか。日本の立てこもり事件の突入率は8割近くだというからおそらくそうなるだろう。警察にいいところがないまま終わるのだろうか。


5月12日
腹の虫とは

 池波正太郎の短編、「辻斬り」を読んでいた。その中に「この腹の中の虫がさわいだのさ」という表現が出てきた。「腹の虫」について以前から頭の中にあったことがあり、これを機会に書いておこうと思う。広辞苑を調べると、はらのむし【腹の虫】@心中の感情を腹中の虫にたとえていう。A空腹の原因を腹中の虫にたとえていう。「―が目を覚ます」と書かれている。
 普通、腹の中に虫などいないので、あくまでそのようなイメージを表現していると考える人が多いかと思う。だが、私はあることに気づいた。それは「昔の日本人の腹の中には本当に虫がいた」ということだ。もうおわかりかと思うが、寄生虫のことだ。回虫、サナダムシなどの寄生虫がほとんどの日本人の腹の中にいた。昔の日本の農業は人間の糞尿を肥料として行われていた。そのせいらしいのだが、農作物には寄生虫がついていて、それを食べた人の腹の中に寄生した。戦後、アメリカがDDTを撒くようになって、日本人の腹の中からは寄生虫がいなくなったといわれている。だが、現在も物好きな人はいるもので、わざわざ寄生虫を飲み込んで腹の中に飼っている人もいる。有名なところでは亡くなった歌手のマリア・カラスがサナダムシを飲み込んでダイエットに成功した。何かのテレビで見たが、ある学者が身体によいとか言って(本当かどうか知らないが)寄生虫を飲み、飼っているといっていた。自分の食べたもののカロリーを寄生虫が消費してくれるので、これは究極のダイエットといえるだろう。
 腹の虫は本当にいるのであるから、「腹の虫」は「回虫」や「サナダムシ」のことではないかという説が頭に浮かんだのである。


5月6日
日本型成果主義がジェットコースター事故を起こした。

 私の職場でも成果主義が取り入れられているが、それはもちろん日本型。つまりピラミッドの底辺に近い従業員にまで成果が求められるというものだ。欧米のそれは管理職にのみ求められ、その点が日本とはまったく異なる。日本型成果主義が目的とするのは言ってしまえば人件費の削減だ。それゆえ恐怖政治が行われている。成果が上がらなければ給料が上がらないぞ、下がるぞ、首になるぞ。生存まで脅かされることになると、人間は「自分さえ良ければいい」という考えに陥りやすい。自分の仕事の生産性をとにかく上げなければならない。そのために手を抜く。生産性が下がればそれは即首につながる。だが、事故は起こるかどうかわからない。起こったとしてもそれは遥か未来のことのように思え、それが自分の責任になるかどうか分からない。いや、他の人のせいになってほしい、そうしてしまえ、という心理が働く。実際、問題が起これば責任のなすりあいになる。とにかく手を抜いて自分の生産性を上げよう。
 大阪のジェットコースター事故も同じメカニズムによって起こった人災だ。問題の車軸は5年に一度の交換が必要だというが、15年間一度も交換されていなかったという。目視で検査を行ったというが、目視では金属疲労はわからない。手抜きにより生産性をとにかく上げようという姿勢がこの事故を引き起こした。2年前の列車脱線事故も同じだ。
 競争によって向上しようという考え自体は良いかもしれない。だが、それはあくまで従業員の生存が保障された上での話である。どんどん生産性を上げなければ首にするぞという恐怖アピールを行えば、従業員は自己中心的になり、それが恐ろしい災害をもたらす。幸い、私の職場では上層部がその問題点に気づき始めたが、私に言わせれば遅すぎた。一度心に刻み付けられた恐怖を消すことは難しい。



5月5日
 
手品師は訴訟を起こしたほうがよいか

 マジック界を震撼させたあのフレンチドロップの事件でマジシャン49人が訴訟を起こしたという。複雑な気分になる。
 昨年11月だったと思うが、貨幣変造の罪でフレンチドロップの経営者たちが逮捕された。その報道の際にコインマジックのトリックがテレビで大々的に暴露されてしまった。
 そもそもこの逮捕劇自体、法律の目的からすると正反対の効果しかないものだった。考えてもみてほしいが、貨幣の信用を損ねないようにするために変造を禁止する法律を作ったのだろう。マジック用に貨幣を変造することが貨幣の信用を損ねるだろうか。まったくありえない話だ。なぜなら貨幣に信用があるからこそ変造貨幣を使ったマジックが不思議に見えるからである。貨幣の信用がなくなって真っ先に困るのはほかならぬマジシャンたちである。だからマジックのために貨幣を変造してもその信用度には影響がない。むしろこれらの変造貨幣のネタバラシをテレビで大々的に行うことで逆に貨幣の信用度が損ねられたといってよい。
 日本テレビとテレビ朝日がネタバラシを行ったのは社会に対する啓蒙や正義のためではなく、単なる視聴率稼ぎが目的だったからだ。変造の事実のみを報道すればよかったので、ネタバラシをする必要はまったくなかった。
 去年、この事件をこのサイトでも採り上げようか考えたが、やめにした。騒ぎを大きくすることでタネが広く知られるようになることを恐れたためだ。だから今回マジシャンたちが訴訟を起こしたことは複雑な気分がする。注目が集まることで、タネが広く知られることにならないか心配なのである。


5月4日
 
「スパイダーマン3」は「もののけ姫」か

 今日は「スパイダーマン3」を観てきた。これは「もののけ姫」の影響が大きいと思われる。主人公ピーターと恋人のMJが屋外でデートを楽しんでいる場所の近くになぜか隕石が落下。そこから黒い集団の虫のようなものが出てきて、知らないうちにピーターに寄生する。これは人間の邪悪な部分を刺激し、増長させるのだが、そのイメージは「もののけ姫」にでてきた「タタリ神」そっくりだ。たまたま主人公の近くに隕石が落ちるなど偶然にもほどがある。主人公の叔父を殺した男がたまたま素粒子か何かの実験場に紛れ込み、そのせいで砂に形を変えるキャラクターに変身するのだが、これは「ターミネーター2」にでてきた液体金属ターミネーターT1000型からアイデアを頂いたものであろう。この「砂男」はT1000型とは違い、巨大化できる。「もののけ姫」のデイダラボッチや「ハムナプトラ」あたりからの連想と思われる。作品自体は十分楽しめる出来栄えであったが、悪キャラのネタが尽きてきた感じがする。


5月3日
 映画「バベル」を観てきた。内容のよさと光点滅による体調不良を訴える観客が続出したことで話題になっているが、それらについてエッセイ書いておいた。