|
3月31日
追悼植木等
しばらくは亡くならないだろうと勝手に考えていた人物が亡くなるのは非常にショックが大きい。今回の植木等の永眠もそうだった。報道を見る限りでは驚いている人が多かったようだ。以前ブログに書いたが、植木等の実家は浄土真宗のお寺で、私も浄土真宗の檀家なので、植木等には親近感を感じていた。私はクレイジーキャッツ全盛期よりも後に生まれた世代なので、オンタイムでは「無責任男」を知らない。だが、映画も観ているし、クレイジーキャッツの歌はカラオケでよく歌っていた。以前、友人たちと4人でカラオケに行ったとき、私は「ハイそれまでヨ」を歌った。その当時は第二次植木等ブームが起こる遥か前だった。「あなただけが、生きがいなの、お願い、お願い、捨てないで・・・」と歌いだすと友人の一人が「何て暗い歌を歌うんだ!」と怒って、もう一人の友人を連れて「ジュース買いに行こう」と出て行ってしまった。私の前には友人が一人だけ残された。そこでご存知のとおり、曲調はガラリと変わる。「テナこと言われてその気になって・・」と歌い続けた。バカワールドが最高潮に達する。「ふざけやがってコノヤロー」と歌ったところで二人の友人はジュースを抱えて戻ってきた。そこへ私が「泣けてーくーるー」と歌ったものだから、友人二人はさらに不機嫌な顔になった。あの二人が現在「ハイそれまでヨ」の内容を理解しているのかはよく知らない。
3月30日
古いコンテンツは削除しておくれ
先日、アニメ映画「ハッピーフィート」を観た。大変素晴らしい娯楽作品で映画のエッセイ欄に感想を書いておいた。この映画の白眉(のひとつ)はペンギンたちのタップダンスシーンだが、これはセヴィアン・グローバーというタップの神様と呼ばれるタップダンサーの動きをCG化したものだ。その見事さに感心し、早速インターネットで「セヴィアン・グローバー」を検索。gooで最上位にランクされているサイトはセヴィアン・グローバーの公演情報が載っている「チケットぴあ」のサイトだった。4月11日(火)から16日(日)まで東京国際フォーラムで公演が行われるという。14日に東京へ行く用事があるので、ちょうどよいので見てこようと思い、「チケットお申し込みページへ」をクリック。だが、その公演はすでに終了しているか、見つからないという。そんな馬鹿な。4月だからまだ終わっているはずがない。おかしい。できれば13日の金曜日に観にいきたいのだが・・・ちょっと待て。11日が火曜だって? 水曜日だろう。よく見てみると、2006年4月11日〜と書いてある。去年の4月にすでに終了している公演情報だった。ほぼ一年が経過しているのに、まだ削除していないとは。まぎらわしすぎる。どうにかならないのか。最上位にランクされているサイトなのに。
3月24日
起きているときに暴れるといい
眠るとモンスターに変身する男性の話を知っているだろうか。イギリスのベッドフォード在住のデレク・ロジャースさんは1998年から、睡眠中に暴れだし、家具を壊したり、金切り声を上げ、妻にも暴力を振るうようになった。自分自身負傷することも多く、救急病院に運ばれたことが週に最高3回もあるという。そして自分が暴れた記憶がないのだそうだ。
6種類の治療法を試した後、紹介されたケンブリッジのパップワース睡眠クリニックで投与された試薬が効果を上げ、ロジャースさんは絶賛しているという。
この男性、普段は思いやりにあふれ、言葉遣いも丁寧な立派な人物なのだそうだ。私が推測するに、普段立派であるからこそ、睡眠中に暴れてしまうのではないか。100パーセント立派な人間などいないので、誰しも自分の暴力的、攻撃的な部分を抑圧したり、何かに転化させたりして、日々を過ごしている。この人はおそらく普段立派過ぎるほど立派なのではないだろうか。だからこそ無意識に抑圧された攻撃性が睡眠中に表に出るのではないだろうか。効果を上げた試薬はアメリカで開発されたもので、睡眠中の脳からの信号を体内の筋肉に伝えることを阻止するものだそうだ。これは対症療法的なものだろう。問題なのは彼の中には(誰でもそうだが)間違いなく攻撃性があり、それが上手に表に出せないからこそこのような症状が起こるということだ。薬で症状を止めても、原因は残っているので、また違う形で攻撃性は表に出るのではないだろうか。
起きているときに積極的に暴れてみてはどうだろうかと提案したい。彼が試した6種類の治療法が何かは知らない。その中に含まれいなければ、試してみてはいかがだろうか。生物にとって必要だからこそ、攻撃性は存在する。それを上手く活用なり解消しなければ違う形で現れると思うのだ。
3月22日
マジシャンは神様にはつとまらない
最近私は脳機能学者の苫米地英人博士の本にハマっていて、彼のブログも毎日チェックしている。最近の書き込みにこんなのがあった。
・・・『奇跡』というと神が起こすことと思われがちだが、神が起こす出来事は、「神が決めたこと」なのだから、必然であって『奇跡』ではない。人間が起こすから『奇跡』なのだ・・・
そして最近、Mr.マリックが「Dのゲキジョー」という番組に出ていて、こんなことを言っていた。
「手を合わせて拝むようにして観に来る人たちが来るんです。そういう人たちは不思議なことをしても驚かないですよね。マリックさんはスプーンを曲げられると思ってますから、感動がないですよね。やってるほうも楽しくない」
これは実は超魔術を始めた当初、マリックが一番危惧していたことだった。マリックが有名になったのは日本テレビの特番「水曜スペシャル」ということになっているが、私が最初にマリックを観たのは大橋巨泉の「こんなモノいらない」という番組でのことだった。百円玉へタバコを通し、観客の手の中に握らせた五百円玉四枚のうち、一枚がコップに瞬間移動する。いまはタネを知っているが、あの時の驚きは忘れることはない。そこでマリックはこんなことを言っていた。
「マジックだと言うと、タネがあるから不思議じゃないと思われる。超能力だというと超能力なら不思議なことができて当然。だから超能力でもマジックでもない超魔術として演じている」
記憶を頼りに書いているので正確な引用かどうかはわからない。しかし、私はこのときのマリックの姿勢を支持した。ところが、「水曜スペシャル」ではいかにも超能力であるかのように錯覚させる演出が採られた。冒頭でタレントたちが「マリックさんは超能力者だと信じます」と次々に口にする。マリック自身も超能力用語を連発。最後にみんなでスプーン曲げを行い、司会の福留功男が「信じる人も信じない人も必ず信じるようになりますよ」「信じることから新しい世界、可能性が広がっていく気がします」などと発言する。テレビ局の力は巨大だから、マリックも逆らうことができなかったのか、本物の超能力者であるかのように振る舞い始めた。そして彼を神とみなす人たちが現れる。神には不可能はない。だから何をやっても驚いてもらえない。彼はエンターテイナーではなくなってしまったのだ。それから2年間、マリックは仕事を干されることとなる。
苫米地博士が言うように、人間が起こすから奇跡なのだ。神様になってしまえばマジシャンの仕事は勤まらなくなる。
3月21日
映画のエッセイを書き加えた。黒澤明の「椿三十郎」について。
3月12日
中国武術にサブミッションはない
今日思いついた。正確には「中国武術に関節技はあるが、サブミッションはない」である。何を言っているのだとお怒りになる方もおられるだろう。関節技はサブミッションと英訳されるからである。
日本の柔術や合気道の関節技は中国武術にルーツがある。さかのぼればインドの達磨大師まで行き着く。だから日本の武術の関節技と似たような関節技は中国武術にもある。だが、その目的は異なる。日本の武術の関節技は関節を極めることにより、相手を降参させることを目的とする。だが、中国武術では必ずしも関節を極める必要はない。打撃の流れの中で相手の体勢を崩させ、その隙にとどめの一撃を加えることを目的とする。どちらが優れているという話ではなく、民族性の違いである。日本の関節技は相手を屈服させる(submit)ことを目的とし、中国のそれは相手にとどめを刺す手段の一つだ。屈服させることが目的ではないのなら、サブミッションとは言えないのではないかと思うのである。関節技=サブミッションという訳自体が不正確ではないかと思う。
3月8日
気功と武道は一緒にやらないほうがいい
YOU TUBEで面白い映像を見つけた。柳龍拳という気功と合気術の名人が何人もの弟子たちを手も触れずに次々と投げ飛ばしている。「格闘ビデオ道」というテレビ番組の一部分だ。糸を巻くように手を動かすと、離れた位置に立っている弟子が痙攣し始め、しまいには投げ飛ばされる。この柳龍拳氏は他流試合を受け付けており、それに挑戦した者がいた。総合格闘家の岩倉豪だ。結果は岩倉が膝や拳で五、六回打撃を加え、レフリーストップがかかり、TKO勝ちした。この映像がリンクされているHPに書き込まれていたコメントの中に、「気功なんてインチキだ」とか、「老人に打撃を加えるなんてよくない」というものがあった。私が考えるに岩倉氏はあのように戦うしかなかった。
気功はやらせ、インチキではないと私は考えている。無生物を動かすなどと言うのはトリックだと思うが、人間に影響を与えるのはある種の催眠術だからだ。気功で体が飛ばされるのは、気を受ける側が自分から飛んでいるのだ。「体が飛ばされる」という暗示が潜在意識に伝わり、勝手に体が動いてしまう。女性や子供より、大人の男のほうが遠くまで飛ぶのは、飛ばされる側の筋肉が強いほうが飛ぶということだ。催眠術はかかりなれている人のほうが簡単にかかる。つまり、柳龍拳氏の弟子たちはいつも術をかけられているので、手を触れずとも柳氏に飛ばされると信じているがためにあのように遠くから飛ばされてしまうのだ。気功は相手の心理を動かすテクニックであり、物理的なものではない。だから、弟子ではない他人がかかる可能性は低い。
だがまったくかからないともいいきれない。オウム真理教信者の脱洗脳をおこなった苫米地英人博士によれば、強い臨場感を伴った自分のイメージを操作できるようになれば、軽く触れた程度で相手を熟睡させることも可能だという。コミュニケーションの中で言語が占める割合はわずか7パーセントだといわれているので、言葉を発することなく相手の心理を動かすことも可能だ。それが気功であり、それに影響されないためには肉体の接触をできるだけ避けるのが当然だ。岩倉氏の戦法はあれしかなかったと私がいうのはそのためだ。
そして武道の中に気功を取り込むのはやめたほうがいい。弟子に対して暗示をかけつづけていると、弟子はますますかかりやすくなり、師匠は気の力がますます強くなったように錯覚する。だが、実際に対戦する相手はかかりにくいのだから、気功をやればやるほど現実との差が生じてしまう。少なくとも合図とともに始まるフェアな試合においては気功による心理戦法はマイナスに作用するのではないか。
3月4日
強制性の証拠を出せばいい
安倍総理が従軍慰安婦の連行について強制性の証拠がないと発言した問題である。これについて韓国は反発しているが、おかしいのではないか。証拠がないという発言にたいし反論するなら、その証拠を出すのが当然だろう。それをせずに「お前の自己主張そのものがけしからん」などと言うのはなんという傲慢であろうか。従軍慰安婦問題についてはすでに学者たちが調査し、少なくとも拉致に近い形で連行した事実は見当たらないとされている。安倍総理が言っている「狭義の強制性がない」という発言も同じ意味だ。もちろん娘の身売りという形では昔も今も世界の何処かで行われている。昔の日本でもあった、つまり併合されていた朝鮮でもあったと考えるのが自然だ。それといわゆる「拉致&強姦」を一緒にしてはならないということである。「拉致&強姦」があったとするなら、その証拠を出せばいいのだ。証拠なしに被害者の主張のみで被疑者の有罪が決定してしまうなどということがあってはならない。鹿児島の公職選挙法の冤罪事件や数々の痴漢冤罪事件が起こるのは証拠なしの有罪決定というムチャクチャがまかり通っているからである。
3月3日
日本人にはジョークをいちいち解説せよ
このHPにもジョークのページがあるとおり、私はジョーク好きである。だがほとんどの日本人はジョークというものが理解できないらしい。「ジョークってつまんない」と多くの日本人は言うが、これは理解したうえで面白さがたいしたことないと判断しているのではなく、意味が理解できないのだから、「つまらない」の上から目線は慎んだほうがよいのではないか。昨日の「英語でしゃべらナイト」でジョークの特集をしていたが、釈由美子と松本アナウンサーの二人はジョークを理解できない日本人の典型であった(非難するつもりはないが)。その理由が考察されていた。ひとつは「日本人にはステレオタイプのイメージがない」(デーブ・スペクター)ので、ジョークの前提としての世界観がまず分からない。そしてもうひとつは「ジョークの場の雰囲気が耐えられない」(松本アナウンサー)、つまり完結したジョークはそれまでの話の流れを止めてしまうので、それを日本人は好まない、というもの。これらの理由については筒井康隆が以前エッセイに書いていたのを読んだことがある。本質を示しているといえるだろう。
ステレオタイプはよくないかもしれないが、世界にはそのようなものがあることをまずは理解するのが国際理解の第一歩ではないか。それを知らないのでは国際的常識力の欠如を疑われても仕方ないかもしれない。
そして、話の流れを止めてしまうことが嫌いなのは虚構の世界を楽しむことに慣れていないからだろう。ジョーク=虚構=つまらない、の図式が成立していることが「やらせ」文化を生んでいるのではないかというのが私の考えだ。こんな経験はないだろうか。面白い話を考え付く。その話の登場人物を自分の知り合いの誰かにして、いかにも本当の話のように喋ったということが。きっとあるはずだ。その内容はジョークと変わらないのに。ガッツ石松が連想ゲームをしりとりと勘違いして回答していたという話はビートたけしによって作られたジョークだ。たけしはこれをさも真実のごとく触れ回ったので、これを事実だと考えている人は多い。本当の話にしたほうが日本では受けるとたけしは判断したのだ。それは正しい。だからこそ本当にあったがごとく表現する「やらせ」が耐えない体質を日本人は持っているのではないか。
番組内で学者が有名ジョークの解説をしていた。笑いの解説ほど無粋なものはないといわれるが、日本人のジョークの理解度があまりにも低ければ、国際理解のためにもこのような解説は大変有意義だと思う。
|