見せすぎからの卒業

 

「手品をやるときはたくさん見せすぎてはいけない」とはいろんな人が言っていることである。マジックをやる人間なら一度ならず何度も聞いたことがあるだろう。だがこれを守れるようになる人間はかなり少ない。せいぜい一つか二つ、多くて三つでやめるべきだが、ついつい数え切れないくらい演じてしまい、うんざりされるという経験を持っている人は多いのではないか。

以前テレビで眞鍋かをりが言っていたが、「マジックをアマチュアでやっている人ってうざい人が多い。楽しませるのではなく、やたら見せようとする」

これは私が常々考えていることと一緒である。この「楽しませるのではなく、やたら見せようとする」というところが理解できないマジシャンはたくさんいるのではないか。なぜ理解できないのかといえば、不思議なことを見せるのは観客に楽しんでもらうための手段に過ぎないということを理解していないからである。不思議なことを見せられただけで観客は喜ぶものではない。理解できない現象に恐怖を覚えたり、マジシャンに馬鹿にされているかのように感じることもある。エンターテイナーとしての自覚があるならこのことは考慮に入れた上でマジックを見せなければならない。ただやればいいというものではない。仮によいとしても、そんな人間が見せる芸は一つで十分だということだ。

マジックを見せるほうの人間は見せられる側の感覚がよくわからないのである。見せられる側はマジシャンにたいして面と向かって「もう飽きてきた。やめていいよ」とは言いにくい。それに気づかないマジシャンはついついたくさん演じてしまう。

そしてなぜたくさん演じてしまうのかといえば、そのマジシャンがマジック以外に自分の面白いところがないと自覚しているからではないか。だからマジックがうけるかうけないかはそのマジシャンにとって死活問題である。そしてマジック以外に面白みのない人間のマジックはあまり面白くなかったりする。だからついつい演じすぎてしまうマジシャンは悲劇的結末を迎えることしかありえない。

精神分析学者の岸田秀氏によれば、手段が目的になることをフェティシズムというそうである。観客に楽しんでもらえないマジシャンはいうなれば不思議フェティシズムに陥っているのではないか。楽しませる手段であるはずの不思議さ自体が目的と化しているのだ。だから楽しんでもらえないのは当然となる。中には観客を叩きのめす快感を得るためにマジックを演じている者すらいるのではないか。エンターテイナーでありたいと思うなら最低限このフェティシズムからの脱却を果たさねばならない。