JOSEの魔術の花道 
JOSE'S THE STAGE PASSAGE OF MAGIC
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お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
宮城県仙台市在住の魔術師のはしくれ、JOSEでございます。
楽しんでいただければ幸いです。

8月28日
赤紙が来た!


 先日、私のところに届いた一枚のはがき。赤紙と関係者の間では呼ばれております。これをもらったら、貴方は天皇陛下に命をささげる覚悟で戦場へ向かうことが出来ます。万歳! 
 なんて信じてはだめです。これは鳥肌実という特殊なお笑い芸人のダイレクトメールです。この人、自称右翼の共産党員で廃人だそうです。ずっと42歳厄年といい続けています。
「2002年に日本が韓国とワールドカップの共同開催をしたですって? 何を言ってるんですか? 日本は単独開催したじゃないですか。韓国は日本なのです。ソウルも日本なのです」
「私が経営予定のカフェでは通路の床に池田大作の写真を埋め込んでおきます。客は池田大作を踏みつけなければ入場できません」
など絶対テレビでは放送できない危険なネタのオンパレード。

 このはがきを見つけた私の父が私が右翼に入ったのではないかと勘違いしたようです。右翼に入ってはいませんが、完全な左翼の人には鳥肌実の芸は理解できないでしょう。




8月12日

五輪は中国変革にプラスとなるか

 

 チベット問題やらスーダンのダルフール問題やらで、オリンピックなどしておる場合かという中国だが、どうにか開催にこぎつけた。

開・閉会式は当初、スティーブン・スピルバーグが芸術顧問を勤める予定だったが、ダルフール問題に抗議して辞退した。その後、名前が挙がったのは中国の映画監督、チャン・イーモウ。彼の映画全般を観ているとわかるが、イーモウ監督の芸術的センスは一流だ。特に「HERO」では背景と同色の衣装という冒険をやって成功している。赤が基調の背景の中で登場人物が全員赤い服を着ていて、それがバッティングせず、絶妙なグラデーションを作り上げているのを観たときは思わず息を呑んだものだ。そのイーモウ監督が指揮した開会式だが、芸術的には満点をあげてよい出来になっていると思う。どの国にもナショナリズムはあるが、予想した通り、「どうだ中国、すげえだろ」的な内容でもあった。イーモウのセンスがなければ鼻持ちならないものになっていたかもしれない。

この大会を成功させる一番の意義は中国のオリンピック需要ではなく、中国が外国との交流を深めることで、中国人民の意識が変わるかどうかということだと思う。オリンピックを成功させるためには妥協すべきは妥協し、中国自体が変わらなければならない。そして外国から人が入り、情報も入るとなれば、人民の意識も変わってくるだろう。ちなみに中国では当局に不利な情報を載せているサイトは見られないようになっているという。井沢元彦氏の著書によれば、グーグルに圧力をかけて中国当局がそうさせたのだそうだ。そういった状況も変わっていくかもしれない。

開会式で日本選手団が入場するとき、やや歓声があがったようで、中国の観衆のマナーもよくなっているように見えた。中国と日本の試合もいくつか見たが観客の態度に問題はなかったようだ。

開催中に新彊ウイグル自治区で爆破事件があったり、普通のオリンピックでないことは確かだが、この大会が中国をどのように変えていくか進展を見守りたい。






2008年8月6日
オーバーロードされた!
 
 先日、あるインターネット関連会社から電話があった。セキュリティシステムを取り入れてほしいというのが用件だったが、口調が速いのである。こちらが理解できるよりやや速いスピードでリズムよく話しまくり、最後に「契約していただけますか?」とくる。つい、「はい」と言ってしまいそうになるが、私のパソコンにも一応セキュリティは施してあるので断った。
 相手は中年と思しき女性だったが、その人、オーバーロードという技法の使い手だ。彼女がオーバーロードという名前を知っているかどうかは解からないが、なかなかのものだと思った。ミルトン・エリクソンという催眠療法の権威の一派が作り出した概念で、許容範囲を超える情報処理を行うと変性意識が自然に生成されることをオーバーロードという。こちらの理性の働きが鈍くなり、無意識が優勢になるので、相手のメッセージをすんなりと受け入れてしまいやすくなるのだ。
 恐ろしいのは、理性ではノーと思っていても、理性そのものを鈍くさせるテクニックなので、ついイエスと言ってしまいそうになることだ。
 オウム真理教信者の脱洗脳を行った苫米地英人博士の著書「洗脳言論」にも、著者がオーバーロードを用いたと書かれている。元催眠療法家、石井裕之氏のセミナーはいつも早口だ。DVDの中で、聴衆の質問に答えて彼はこう言っている。
「相手に考える暇を与えません。理屈で学ぶのではなく、無意識の学び。そのためには相手が理解できるよりやや速いスピードで喋らなければならない」
 苫米地博士もそうだが、石井氏もエリクソンの影響を受けているので、彼もオーバーロードを用いたのは間違いない。
 テクニックに善も悪もない。その使い方に善悪があるだけだ。悪人のほうが勉強家だったりするから気をつけないと。




8月1日
食品偽装のない社会に我々は耐えられるか

 テレビをつけたら日テレで「太田総理」をやっていた。「食品偽装が行われたら、関係する省庁の大臣は辞任、食品会社は商売をやめる」という(正確な引用ではないが)マニフェストが提案されていた。私もそうだし、多くの国民が食品偽装などないほうがいいと思っているだろう。しかし、もはや偽装は我々の文化の奥深くに根付いており、意識すらしていないのが本当のところだろう。
 片栗粉というものがどのスーパーにも売っている。これなどは食品偽装が当たり前になって問題にすらされなくなっている好例だ。知らない人もいるだろうが、片栗という植物がある。これはユリ科の多年草だ。そして市販の片栗粉の原材料は茄子科のジャガイモである。食品の偽装がいけないというなら、明らかにジャガイモを原料とする粉を片栗粉などと呼ぶのはあってはならない。わらびもちは本来ならわらびから採られる粉を原料にしなければならないが、これも原料のほとんどが片栗粉・・・もとい、ジャガイモ澱粉だ。これからの季節、ワゴン車などで売りに来るが、その際には「ジャガイモ澱粉もち〜♪ ひんやりしてて、美味しいよ」とやらなければなるまい。
 回転寿司が食品偽装をやめたらどうなるか。「マダイの握り一貫300円」などとは口が裂けても言えないから「ティラピアの握り」とでも言うしかないだろう。「新鮮ナイルバーチ」「解凍アカマンボウ」だのと表示されることになる。居酒屋でシシャモのフライはカペリンのフライと表示せねばなるまい。
 このように正直な表示ばかりになったら我々は耐えられるのだろうか。ただでさえ売春を援助交際と言い換えたり、敗戦を終戦と言い換える文化を持つ我々である。井沢元彦氏が言うところの「言霊」の影響を多大に受けている。本物のヒラメがない、スズキもマグロもないからと言ってその現実を受け入れることなどできるのだろうか。
 言葉が我々の世界を表現し、そこから生まれるリアリティが存在する。ならば言葉が変わってしまえば、自分たちの見ている世界や文化も変わってしまうことになり、それはある意味、自我の崩壊につながるのではないか。自我の崩壊とは死にも等しい。
 言葉を言い換えましょうというキャンペーンがしばしば行われる。それによってじわじわと我々のリアリティは書き換えられつつあると思うのだが、徐々に行われるがゆえ、なかなか世間は気づかないようになっている。今の食品偽装問題でも、マスコミが煽った部分にしかほとんどの人は反応していない。煽られているうちは自由を獲得していない





2008年7月18日
 DVDで昔のTV洋画を観てみよう

 刑事コロンボシリーズの中にマジシャンが犯人のエピソードは二つあるが、そのうちの一つ「魔術師の幻想」をDVDで観た。昔私が観たのはテレビの洋画劇場、もちろん吹き替えだ。今回は英語の字幕を出しながら日本語の吹き替えで観るということをやってみた。コロンボの声は小池朝雄でなければ落ち着いて見られない。
 すると、いくつか発見があった。犯人の魔術師、サンティーニが出演するディナーショーで、コロンボはジンジャー・エールを注文しているのだが、吹き替えでは「コーヒーを一杯、なるべく濃いのを」と言っている。字幕では英語でも日本語でも「ジンジャーエールを」となっている。
 例のごとくコロンボは犯人にしつこくつきまとうのだが、「あなたの本名は違うそうじゃないですか。アーリントンだかケンジントンだそうですが・・・」と追い詰めていく。それに対してサンティーニが「どちらでもないよ、ワシントンだ」と答える。「ファースト・ネームは?」コロンボの問いに「ジョージだ」と吹き替えでは言っている。昔これを観たときに面白いと思ったのをよく覚えていた。だが、英語では「マーサだ」と言っている。ははあ、マーサとはジョージ・ワシントンの妻のことだ。今の私にはわかるが、当時では知る人は多くなかったろう。今ですら、少なくとも日本人でジョージ・ワシントンの妻の名前を知る人など少数派だろう。私だってたまたま知っていたにすぎない。だからあえてマーサをジョージに変えないと、サンティーニが本名を告げる気がないことが視聴者に伝わらないと製作者サイドは考えたのだろう。おそらく、最初の放送時にはジンジャーエールという飲み物もさほど一般的ではなく、視聴者が混乱することを考慮してコーヒーに変えたのだろう。濃いコーヒーのほうがコロンボのイメージに合うとの考えがあったかもしれない。作品の中では、注文の品が運ばれる前にコロンボがアシスタントに立候補して、注文の品が運ばれる部分が映らないので矛盾が生じない。その時、コロンボはサンティーニが警察の手錠を外せるかどうか試したいと挑戦する。被害者の部屋の鍵を開けられるかどうか確かめるためだった。
 いずれも吹き替えでは違うことを言っているが、字幕では本来の台詞どおりになっている。固有名詞の場合、英語の音声と異なる字幕を出すと視聴者は混乱するので、英語の台詞と同じにすることが多いようだ。昔の洋画は、特にTVドラマは吹き替えで観ている場合が多い。DVDで観直してみると、新たな発見があるかもしれない。
 ちなみにこの作品中に出てくる鍵職人のラシターを演じる俳優がジェームズ・ランディそっくりで驚く。だが、クレジットを確認すると、Victor Izaiという人物だとわかる。ネットで調べてみたところ、ジェームズ・ランディとは生年月日も生誕地も違うことから、別人であるようだ。でも本当にそっくり。兄弟か親戚かも知れない。何かご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたい。




7月12日
北京オリンピック中に犬を食べよう

 主に欧米の観光客たちが嫌がるから北京オリンピック開催中は北京において犬の料理を出す店をなくしてほしいとの要請がだされているらしい。韓国のソウルオリンピックのときもおなじようなことがあって、実際にソウルでは表通りからは犬料理を食べさせる店が消えてしまった。とんでもない話だ。おそらく犬を食べることに拒否感を覚えるのは欧米の価値観を植えつけられているからだ。犬の先祖は狼だというが、欧米の感覚では人間に忠誠を誓った狼を犬と呼ぶのだろう。だからこそ欧米人は犬を食べることを野蛮だと考えるし、それに影響を受けた欧米以外の人たちもそう考えるようになる。
 だがそれはあくまで欧米の感覚。ヒンズー教で神の使いとされている牛をアメリカ人はひき肉にしてしまう。宗教によって食の禁忌はそれぞれ異なる。イスラム教徒が豚を食べないからといって、欧米の豚肉料理を非難したという話は聞いたことがない。ユダヤ教で禁じられている食材の中に貝類があるが、ユダヤ人が生牡蠣を食べるフランス人を非難することもない。
 他の文化の価値観に介入しようとする態度は非常にみっともない。人以外のあらゆる動植物は食材になりうる。場合によっては人肉も食材になりうるが、殺人が良くないことだとすればこれはタブーとしてよいだろう。だが、他の文化を持つ人々が何を食べるかなどどうでもよいではないか。
 私は中学生のとき、アメリカの家庭にホームステイしたことがある。そこで飼っていたウサギを殺す手伝いをさせられたことがある。彼らにとってはウサギは食材だったが、日本人にとってはペットの印象が強い。だからショッキングな経験ではあったのだが、そのときあらゆる生命の尊さには上下などないと確信するようになった。食べるということは他の生命を奪うことで、どの動植物なら殺してよいという差別感覚は一切消えうせてしまったのだ。その殺したウサギを私も食べたが、絞めたばかりだったせいか、あっさりした味だったことを覚えている。そのホームステイ中にカエルを食べたことも私の食の感覚に大きな影響を与えた。私は犬を食べたことはないが、機会があったら是非食べてみたい。食べてよい生き物とそうでないものを勝手に分けて安心することは差別につながる。北京を訪れる予定のある人は犬を食べることにチャレンジされてはどうだろうか。




7月8日
イメージだけでマッチョになれる?

 加圧トレーニングというものが流行っているようだ。これはそれぞれの人に適した圧力のバンドで四肢を縛り、血流を抑制することによって、軽い負荷でも重い負荷をかけたのと同様、いやそれ以上のトレーニング効果が得られるものだ。血流が抑制されることにより、実際には軽い負荷でも重労働をしているように脳が錯覚する。それによって成長ホルモンが膨大に生産され、筋肉の増強、身体の強化が図られるという。実際には筋肉にはさほどの負荷がかかっていないので、翌日筋肉痛になることはない。
 面白いのは筋肉に負荷がかかることではなく、筋肉に負荷がかかったと脳が錯覚することにより筋肉の増強が行われるということだ。物理的な作用ではなく、心理的な作用が身体を作る。だからイメージする力が圧倒的なら運動をしなくともマッチョになれると理論的には言える。
 以前に書いたかもしれないが、心で信じたとおりに身体は反応する。敬虔なキリスト教徒の中にはイエスの痛みを分かち合いたいと切に願うことによって、手のひらに傷跡ができることがある。聖痕現象だ。物理空間は情報空間の影響を多大に受ける。ならばできるだけ良いイメージができる人ほど良い人生を送ることができるということになろう。
 だが実際には本当に信じていれば行動が伴うはずなので、考えているだけではダメなのだろう。文武両道とはよく言ったものだ。
 高島礼子、高知東生夫妻や、杉本彩、井上和香、水道橋博士など多くの芸能人が加圧トレーニングで見事な肉体を作り上げており、その効果は絶大なもののようだ。人によってバンドで縛る圧力は異なるので、専門のトレーナーの指導のもとでやらないと危険だそうだ。




6月27日
ぺる来仙

 アイドルマジシャンの「ぺる」が仙台にやってきた。営業ではなく単に遊びに来たのだ。彼女は元アイドルだが、路線を変更してマジシャンになり、有名になった。TBS系のGORO’S BARに準レギュラーで出演しており、それ以外にもたびたびテレビ出演しているので一度は見たことがある方も多いだろう。
 夜の十時くらいにマジックハウスはてなにぺるがやってきた。連れてきたのは有名製薬会社に勤めるエリートサラリーマンのT氏。この人、はてなの常連なのだが、なぜか有名人との交流が多く、ぺるとも親しい。情報を聞きつけたマジックマニアたちがすでにはてなで待ちほうけていた。
 テレビを通すときれいになる有名人とそうでもない有名人とに別れるが、彼女の場合は後者だ。テレビではどうしてもすこし太って映るが、実物を観ると顔は小さく、スレンダーな肢体をしている。
 マニアたちとぺるとで大マジック大会が始まった。もちろん私もいくつかマジックを披露する。ぺるのマジックはテクニック的にマジシャンの予想を裏切るタイプの、裏の裏をかくことを目指すものではなく、観ている人間が気分よく見られるように演出を工夫していた。ありふれたマジックでも少しモチーフや表現を変えるだけで魅力的になることがよく分かる。マニアの人たち、たまたま店に居合わせた一般のお客さんたちもサインをもらったり写真を撮ってもらったりして大喜び。彼女のブログは非常にまめに更新されているが、私もその。中の写真に写っている
 12時を過ぎた頃、宮城野にあるゆめちゃんが経営する「手品でポン」に移動。ゆめちゃんはマージャンが得意なぺるのためにマージャンのイカサマパフォーマンスを用意して披露していたのには感心するやら呆れるような気分になる。店の壁にぺるのサインを大きく書いてもらって店主のゆめちゃん大満足。ここでも一般のお客さんを交えて大マジック大会となり、朝の3時頃まで続いた。






6月26日
カタレプシーに気をつけろ

 先日、ティッシュ配りに遭遇した。私よりやや若いと思われるその男はティッシュを私に手渡そうとする直前に手を引っ込め、「インターネットはお使いですか?」などと話しかけてきた。この台詞自体はあまり重要ではない。この手を引っ込めるのが高等な心理テクニックだ。
 カタレプシーという心理学用語がある。これは脳に一瞬混乱を起こさせて相手をコントロールする技術だ。ミルトン・エリクソンという1981年に亡くなった催眠療法家がいたのだが、彼が確立したテクニックだといわれている。例えば握手をするとき、直前で手を引っ込めてしまうと、相手の脳は混乱し、意識の働きが低下、相手の言葉を受け入れやすくなってしまう。
 エリクソンの弟子のリチャード・バンドラーが日本においてこれを試したのだが、日本では握手をする習慣がないため、上手くいかなかったといっている。無意識的に行うワンセットの動作を中断されたときに効果を発揮するもののようだ。日本においては握手よりも名刺交換や、ティッシュ配りなどのときに上手くいく可能性が高い。
 何年か前になるが、沖縄空手の達人、宇城憲治氏がテレビで同じことをやっていた。相手の手にマグネット(何でも良いが)を置き、取られる前に手を握るよう言う。だが、途中で動きを止めると相手の脳は混乱し、その間に堂々とマグネットを取り上げてしまう。宇城氏によれば「究極」だそうだ。
 さて、その男は「究極」のテクニックを仕掛けてきたわけだが、何しろ相手が悪すぎる。しかもその男の技術も感心できる完成度とは思えなかった。手を引っ込める動作は場合によっては愚弄しているように相手に思われるので、何らかのフォローを併用したほうがよい。例えばゴミを取るふり、向きを確認するふりなど。私は急いでいたせいもあり、相手を無視して通り過ぎた。
 このカタレプシーを使ってカルト宗教に勧誘したり、キャッチセールスを行ったりすることがあると聞く。皆さんも引っかかったり悪用したりすることがないようお願いしたい。




6月17日
グレゴリー・ウィルソンのレクチャーに参加
 
 場所は仙台駅東口にある仙台中央市民センター。今日も多くの人が集まったが、地震の影響もあって、急に出席出来なくなった人も多数いたようだ。
 グレゴリー・ウィルソンはアメリカ西海岸在住の黒人マジシャン。とはいっても色はかなり薄いほう。彼を一言で表現すれば、超絶技巧を持つ本物のコメディー・ストリート・マジシャンといえよう。笑いを交える芸風はヨーキム・ソルバーグに通じるところがある。
 彼は即興で出来るマジックで有名だ。今回のレクチャーでも即興ネタを主に教えてくれた。彼が本物のストリート・マジシャンと私が評したのもそのためだ。日本のテレビでよく見かけるいわゆる「ストリート・マジック」はサクラ、仕込みなどが多いようだが、彼の場合は一切そんなものはなし。使う道具すらその場にあるものを用いることが多い。
 一枚のポーカーチップ(コインでもよい)が消えたり移動し、知らない間に観客の肩の上に乗っている。ピックポケット(スリ芸)の腕前も一流で、客の腕時計やら携帯電話やらが知らない間に掏り取られ、通訳の二川滋夫先生に手渡されている。観客の身体や衣服、持ち物に異変が起こるため、いささかショックが強すぎる芸かもしれない。カード捌きも見せてもらったが、どうやっているのかほとんど解らない有様。
 レクチャーに来る前にスターバックスで即興でマジックを披露したと聞いたが、店内がパニック状態になったそうだ。カップルの携帯や財布を掏り取ったりして(もちろん後で返すのだが)、仕舞には女性を連れて帰るそぶりを見せたりして騒然となったらしい。




6月8日
遺族から無理にコメントを引き出すな

 秋葉原で通り魔事件が起き、七人の命が失われた。マスコミが例によって遺族にインタビューしていたが、「犯人にいってやりたいことは?」などと聞いていた。この単細胞さはなんであろうかと首を傾げざるを得ない。カメラに映っていた遺族の一人は「何も考えられません」と正直に言っていた。当たり前だろう。それに対してインタビュアーがもう一度同じ質問を繰り返していたのには呆れた。遺族の一人は「このようなことが二度と起こらないようにしてほしい」とのコメントをだしていたが、精一杯だったろう。コメントを考えなければならないだけで辛いときもあることがわからないわけではあるまい。ネタを増やすためには遺族の心情などどうでもよいようだ。



6月2日
温暖化で海面の上昇だって?

 テレビ朝日系列の番組「Qさま」を見ていたら、地球温暖化が原因とされる現象のなかから一つだけある間違いを避けて選べという問題があった。選択肢の中に「海面の上昇」と「エルニーニョ現象」の二つがあったので驚いた。どちらも地球温暖化とは関係がない。番組での正解は「エルニーニョ現象」だったが、よく言われている海面の上昇は誤りだ。よく「地球温暖化により北極の氷が融けて、何メートルも海面が上昇する」とまことしやかに言われるが、北極の氷は海水が凍ったことにより、体積が膨張した部分が海上に浮き出ているにすぎない。融けても水位は変わらない。アルキメデスの原理を思い出せばすぐに理解できるだろう。では大陸の上に氷が乗っかっている南極はというと、南極の温度はマイナス50度ほどなので、多少地球が温暖化したところでその氷が融けることはない。蒸発した海水が南極の上空で冷やされて雪となって南極に降り注ぐゆえ、南極の氷はむしろ増えるとIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が断言している。海水の温度上昇により、海水が膨張。それによって海面が上昇することは考えられるが、その上昇水位はわずか3ミリだという。テレビで非科学的なことを放送するのは決して褒められたことではない。




6月1日
「手品でポン」が営業中
 もうちょっと早く書いておけばよかったが、宮城野のマジック・バー「手品でポン」にすでに二回ほど行ってきた。オープンの日には仙台のマジック好きが多く集まった。店主のゆめと氏(正式な芸名はゆめちゃん、らしい)のマジックの上手さは相変わらずだったが、ギターのほうが上手いのには驚いた。一人で営業しているので、客が多く来すぎても大変だと思うが、事情を察しているマジック好きの皆さんは時々遊びにいきましょう。



5月18日
宮城野に新たなマジックバーが開店

 勝手に宣伝してしまうが、私のマジック仲間のゆめと氏が店を出す。以前から話は聞いていたが、本日メールが来て、22日に開店するそうである。何時かまではよく分からない。店の名前は「手品でポン」だと聞いている。彼の腕やマジックの知識は仙台のマジシャンたちの間ではよく知られている。住所は宮城野区宮城野2-10-37。私はこのサイトでは有名人や客商売以外の人の個人情報は出さない方針だが、彼も芸能人デビューすることになると思うので、いろいろ書いてしまった。まあいいか。皆さん時々遊びに行きましょう。



5月17日
RIVERDANCEよ、戻ってこい

 リバーダンスの公演を観てきた。私が観るのは今回で二度目。現代アイルランドを代表する音楽家、ビル・ウィーランの楽曲に乗せての20人近くの超絶的技巧のタップダンサーたちの群舞はまさに圧巻。フラメンコ・ダンサー が出てきたり、アメリカ的なタップ、カントリー調のダンス、バレエ、などさまざまなダンスを見せてくれるが、それらが見事なまでに融合しているのは世界の底流を流れる共通する文化を上手く見抜いているからだろう。
 ダンサーの中に一人日本人がいる。林孝之さんといって元ITコンサルタントの仕事をしていた人だ。そういう人がリバーダンスに出演している。いきなり登山を始めてエベレストを目指すようなもので、よくぞ成功したものだと感嘆せずにはいられない。
 リバーダンスは観ないと解らない。DVDも発売されているが、生で観るのとでは迫力が違う。生で観ると、タップの音は耳で聴くだけのものではなく、皮膚から感じるものでもあることが解る。
 ところが、日本公演は今回で最後なのだという。何でじゃ! 戻ってきておくれ。




5月8日

病院内にカジノを作れ

 

 老人たちはカネを使いたいのだ。相続税というものがあって、それを取られるくらいなら使ってしまえということもあろう。汗水たらして働き、カネを稼いで貯蓄して、定年退職したころにはもう使い方がわからない。何か趣味でも見つけられた者はいい。私の所属するマジックのグループでも老人たちはカネを使いたがる。ほとんど情報料に等しいマジック、つまりはタネを知ってしまえば手作りが簡単なものでもなぜかカネを払って買ったりする。老人たちはテクニックを要するマジックをしたがらない。面倒だ、難しい、できそうにないなどと彼らはいうが、本当はそうではないようだ。お迎えがくる前に散財したいようなのだ。練習をするより、カネを払って手っ取り早く不思議さを表現できるならそのほうがずっとましだと感じているのだと思う。ネタモノだらけの理由はそこにある。

 私は武道も習っているが、使用している施設の道場の隣の一角で柳生心眼流をやっている。これは甲冑を身に着けた状態での格闘術なのだが、やっているのは老人ばかり。若い人は自由に使えるカネがあまりないのでやろうと思ってもできない。甲冑は安いものではないからだ。

 普通の老人たち、つまりは散財の対象を見つけられなかった人たちはどうなるか。戦後の日本が経済的膨張そのものを目的としていたといっていいなら、それはカネを稼ぐことのみを目的としてきたわけであり、生きるために生きよという価値観を植えつけられてきたことになる。だから彼らは病院をサロンにするようになる。病院にいけば、まともなところなら患者を気遣ったことを言ってくれる。やさしい言葉をかけてほしくて病院通いをする。ミュンヒハウゼン症候群に多くの老人がかかっていると私は考えている。おそらくこれが医療費問題の本当の原因なのだ。3万円を病院で使えば、7万円が国庫からなくなる。これが財政を圧迫する。

 それで今回の高齢者の医療費の年金からの天引き問題がでてくる。もともとは老人たちに必要もないのに病院へ行かせないようにするのが目的だった。だが、無論このやり方では本当に医療が必要な人たちも医療が受けられなくなる。官僚の考えることなどこの程度のものだ。天引きをするより、病院でないところに老人たちの居場所を作れば、自然と国庫負担は減る。むしろビジネスチャンスすらある。

 それで私の暴論を申せば、病院内にカジノを作ってしまえ。病院のサロン化により国庫が圧迫されるくらいならむしろカジノによって老人たちのカネをうまいぐあいに吸い上げれば財政も潤うであろう。老人たちも楽しければ文句も出まい。野坂昭如が言っていたと思うが、65歳以上の老人にマリファナを合法化せよというのはなかなかいいアイデアかもしれない。カジノやマリファナの合法化はともかく、老人たちの居場所、生きがいを考えなければこの国の未来はないだろう。






4月26日

チベット派は笑顔で併走(すれば良かった?)

 

 長野での聖火リレーが終わった。中国派、チベット派入り乱れていろいろ事件が起こったようだが、最終走者の野口みずきが無事聖火をゴールまで運んだ。これまでにも各地の聖火リレーで見られたように、チベット問題を危惧する人たちが長野でも同じように妨害行為に及んだ。私も中国のチベットにおける人権侵害(なんて言葉で言い表せるものではないが)には非常に憤りを感じているが、この聖火リレーの妨害がテレビで流されるのは逆にチベット派のイメージダウンにつながり、あまり良い効果をもたらさないように思う。リレー集団に突入を試みては阻止される様子をたびたび見せられるとうんざりしてくる。

 私は武道を習っているが、相手の背後に回りこんで相手の肩に手をかけて崩す技がある。これは力を入れて倒そうとしても上手くいかない。相手の身体も同じように力が入り、緊張してしまって上手くいかなくなる。むしろ自分は力を抜くと相手の力も抜けて崩れてくれる。水に入る時だって、高いところから飛び込めば水ですら硬くなって身体を壊すほどの衝撃を与える。

 チベット派の人たちはむしろ笑顔で併走すれば阻止される可能性は低くなったように思う。リレー集団と同じような服装に身を包んで接近。そして笑顔でチベットの旗を掲げて一緒に走れば警護の人たちも手荒に取り押さえることもしにくかったろう。まさか反対派の人間が笑顔で一緒に走るとは思わないから頭が混乱して取り押さえるのに手間取り、その分テレビに長く映り、話題にもなったかもしれない。




4月20日

おすそ分けをしよう

 

 今は故人となっている俳優の天本英世の著書に「日本人への遺書(メメント)」というものがある。その中でスペイン通として知られている著者が「スペインには共産主義者がたくさんいるのだが、面白いことに共産主義者の中にもアナーキストがたくさんいる」と語っている。何が面白いのか見当もつかない人はこのサイトを読んでいる人にはあまりいないだろうが、一応説明しておこう。共産主義とはすべての財産をみんなで共有しようという思想のことだ。その実現のためには国家による資源の再分配を徹底的に行い、みなの財産をすべて平等にしようというわけである。共産主義を行うためには誰かが資源の再分配をせねばならず、それは権力を持つ政府ということになる。だが、アナーキストとは政府なんかいらないという人たちだ。矛盾を内包しているところが面白いというわけである。

 これを天本は、「まず何者にも支配されない個人があって、その上に自分の意見があるから、政策への共感として左や右を支持するが、あくまで個人が先なのである」と説明しているが私にはどうもよくわかりにくい。共産主義の考え方の中に「国家死滅論」というのがあるが、これはあくまで共産主義社会が成熟した後に国家がいらなくなる社会が訪れるというもので、最初から無政府主義では共産主義の実現は無理と考えるのが普通だろう。

 共産主義と無政府主義の両立などできるのだろうか。ずっとこのことが頭にあったのだが、最近その方法の一例が頭に浮かんだので書き記しておこう。何のことはない、おすそ分けである。政府とは関係なく、自分の持っているものを人にあげてしまう、それにより資源の再分配を図るのだ。

 私は共産主義者でも無政府主義者でもなく、それなりに人類愛はもっているつもりだ。そもそも政府が資源の再分配を管理しなければ絶対ダメだという考え方はほとんどの人間が自分さえ良ければいいという存在であるという前提に基づくものだろう。だが、多くの人間にはそれなりに他者をおもんぱかるもので、自分以外の人間にも幸せになってほしいという考えを持っている。それなら政府がどうであろうと自分で他者のためにできることをやってもよいはずだ。それができる人間でなければ官僚の税金の無駄遣いにいくら怒ろうと効果がないように思う。




4月1日

ガソリンが値下がり

 

 在庫分を売り切るまでは値下げしないスタンドもあるようだが、通り道にあるスタンドが値下げしていたので、早速給油した。必ずガソリン代はかかるので、安くなったのは非常に結構。ガソリンが安くなると消費が増え、環境に良くないなどと福田首相が言っていたが、考えにくい話だ。昔はリッター100円くらいだったのが150円近くまで値上がりしたが、それで車での通勤の日数を三分の二に減らした人なんているわけがない。だが、アイドリングなどはやらないほうが良いだろう。

 道路整備の予算が足らない自治体も多く、暫定税率の期限切れにより工事を中止せざるを得ないケースもでてきたようだ。だが、だからといって簡単に暫定税率を復活させるのは良くない結果を招くだろう。単にガソリンが高いことに国民が怒っていたのではなく、そうまでして納めている税金がとんでもない無駄遣いをされていたから怒っていたのだ。官僚の体質を変えるのは生易しいことではない。よほどきついお灸をすえる必要がある。その影響がまわりまわって必要な道路すら造られなくなることもあるだろうが、それは将来に対する必要なコストなのではないか。